2002年3月末までに,すべての公立学校でインターネットが利用できるようになった――。これは「e-Japan戦略」の目標の1つで,政府は目標達成を宣言している。確かに達成はした。だが・・・。

 首都圏のある小学校では,3月末の時点でパソコンが20台以上あった。そのうち,インターネットに接続しているのは3台に過ぎず,そのうち2台は職員室に設置したものだった。残りのパソコンは,なんとMS-DOS機。しかも,インターネットが分かる教師は1人しかいなかったが,その教師は3月末で転勤してしまったという。

この小学校では,4月に赴任した教師の中にインターネットを使える人がいたため,“事なきを得た”らしい。都市部の学校ではインターネットを授業に積極的に活用する事例が増えてきているとはいえ,都市近郊のベッドタウンですら,これが現実なのだ。インターネットに接続していても,チョークの粉が積もったパソコン,教育委員会の担当者が視察に来た時だけしか電源を入れないパソコンは,全国の学校に多数ある。

「世界最先端のIT国家となる」のが目標

 日経ネットビジネス誌は6月10日号で,政府が推進するe-Japan戦略を検証した。e-Japan戦略はすべてのIT政策を大本といえるものだ。電子政府の取り組みも,インターネット関連の教育も,EC(電子商取引)に関する規制緩和も,そして個人情報保護法の制定までもが,この戦略に基づいている。

 極めて重要な政策であるにもかかわらず,あまりよく知られていない。そこで,電子政府・電子自治体などの取り組みが本番を迎える,この機をとらえて,e-Japan戦略の現状と展望,そして問題点を探ってみることにした。

 e-Japan戦略は,2005年をめどに「世界最先端のIT国家となる」との目標を掲げた国家戦略で,2001年1月に当時の森内閣によって策定された。司令塔となる高度情報通信ネットワーク社会推進戦略本部(IT戦略本部)は,首相を本部長に閣僚のほか,当時は大学教授だった竹中平蔵氏(現・経済財政政策担当大臣)やソニーの出井伸之会長など民間の有識者も参画している。官主導を廃し,トップダウンでIT政策を推し進めることを狙ったのだ。

 その結果,「官僚ならとても打ち出せないような大胆な目標」が多数打ち出された。IT戦略本部は,世界最先端のIT国家という最終目標を実現するために,政府が重点的に実行すべき5つの分野を明示している。これが「e-Japan重点計画」と呼ばれるものだ。

 5分野のうち,まず1つ目が通信インフラの整備で,ADSLやCATVインターネットを3000万世帯,光ファイバを1000万世帯が利用できるようにするなどとした。2つ目が教育面で,国民全員がインターネットを利用できるようにするなどを目標に掲げた。3つ目が,110兆円以上の市場規模を想定したECの促進。4つ目が,各種申請や入札をすべてネット化する電子政府・電子自治体の実現。5つ目として,セキュリティの確保を挙げた。

 これらのうち,最も成果が上がったといえるのは通信インフラの整備だ。規制緩和や競争条件の整備などにより,劇的に市場が変化した。特にADSLは,ヤフーやアッカ・ネットワークスなどベンチャー企業を市場に呼び込めたことで,世界最低水準の料金が実現した。その結果,加入者数は300万世帯を超え,急増を続けているのは周知の通りだ。

 富士通の試算では,2001年度から2003年度までのe-Japan関連の市場規模は5兆円に達するという。この数字は情報システムなどインフラ投資に関するもので,電子政府や電子自治体などの公共需要が1兆5000億円,誘発される民間が3兆5000億円である。さらにインフラが整備され,誰でもがインターネットを利用できるようになれば,ECなどの巨大な市場がネット上に生まれることになる。

官主導を廃したIT政策のはずだったが

 e-Japan戦略の目標,その試みは正当に評価する必要がある。インターネットの普及・発展により経済や社会は大きく変化しており,企業の有り様,ビジネスのやり方なども変革に迫られている。電気や水道などと同じように,社会基盤としてのIT関連インフラの整備が進まなければ,日本の発展はなく劣化が進むだけだ。政府がこの課題に取り組むのは,その意味で当然のことだ。

 具体的にだれがいつ何をやるかを具体的に明記している点も評価できる。e-Japan重点計画には,各省庁が各年度ごとに実施を予定している施策が詳しく書き込まれている。関心のある方は,首相官邸のサイトからドキュメントを入手して,読んでみるとよい。新聞で大きく扱われるIT政策関連のニュースが,実はかなり前に決まっていたことが分かるだろう。

 民間の活力を引き出すという発想もある。IT担当でもある竹中大臣は「投資主体は民間だが,規制緩和も含め,その仕組み作りは政府がやる。そこが極めて重要なポイント」と力説する。実際,ADSLはこのやり方で成功した。ECなどに障害となっていた法規制も,多くが2001年度中に消滅している。

 ただしe-Japan戦略の施策には,既におかしなところも出てきている。冒頭に挙げた学校の例が,その最たるものだ。スケジュール面では帳尻が合っているのだが,内実が伴っていないわけだ。政府や官僚がこだわる数字を見ても,「世界最先端」から後れを取り始めている話もある。インターネット普及率はこの2年間で韓国や台湾などに抜かれ,順位を13位から16位に下げた。また個人情報保護法案を巡る大混乱も,国民の合意を取ることなくスケジュールを優先させた結果と言えないこともない。

 この国家戦略がITベンダーなど特定に利害当事者を除いて,ほとんど知られていないことも問題だ。多くの人が「e-Japan」という言葉は知っていても,キャッチフレーズ程度の認識しかなく,あらゆるIT政策の根本であることを知る人は多くない。

変質しつつあるe-Japan,電子政府にも懸念材料

 もう1つ気になることがある。e-Japanの変質だ。小泉内閣は財政再建路線を敷いているが,e-Japan戦略の推進のためIT関連には特別枠が設けられている。従って,e-Japan重点計画に盛り込まれれば,予算化は保証されたといってよい。

 5月9日にe-Japan重点計画のバージョン2といえる「e-Japan重点計画-2002」の案が公表されたが,これを読むと奇妙なことに気付く。最初のバージョンから1年以上経っているにもかかわらず,実施済みの施策は多いが取り下げられた施策は1つもない。変化の早いIT関連,インターネット関連の施策であるにもかかわず,追加・修正はあっても削除はないというのは,企業などのリアリティからいうと考えにくいことだ。

 つまり,e-Japan戦略が官僚の予算取りの単なる手段に堕す恐れが出てきたわけだ。そうなるとe-Japanという新しい袋に,古いやり方で施策をせっせと詰め込んでるだけで,施策が腐れば新しい袋も朽ち果ててしまう。既に経済界からは「e-Japanは当初の意図からは大きく変質した。こんなことなら,止めてしまった方がよい」との声も出始めている。

 これから本番を迎える電子政府や電子自治体も,その意味で不安だ。いくら申請や入札をネット化するといっても,公平性を維持するために当面は紙ベースの手続きも並存することになる。その間は行政はコスト面などで非効率になるが,もちろん,これはやむを得ない。問題は,いつになったら意味のある程度まで利用が進むかだ。

 例えば,電子政府や電子自治体の電子申請を国民が安心して利用できるようになるには,きちんとした個人情報保護法が必要である。いまの法案はボツとしても,個人情報を保護する法律が不十分では,電子政府や電子自治体の利用が進むわけもない。また,パソコンやインターネット関連の教育がうまくいかなければ,そもそも利用者は限られてしまう。

 あまり想像したくないが,全国の行政機関にIT関連の“不良資産”,ムダな経費が長く発生する――。そんな恐れもある。システムの構築・運用に当たるITベンダーは潤うかもしれないが,それだけでは役に立たない道路や橋を造る既存の公共事業と変わらなくなってしまう。

情報公開を進め国民や企業の参画を得よ

 e-Japan戦略自体も,改めて読み返すと欠落している部分が見えてくる。首相や大臣などトップの意思決定を支援するために,ITをどう活用するかという視点が全くないのだ。企業ならIT投資をする際に,まずそのことを考える。もちろん政府と企業を同列に扱えないし,企業だって成功しているとは限らないのは分かっている。しかし,世界最先端のIT国家を標榜する戦略の目標に,そのことが全くないのは解せない話だ。

 またe-Japan戦略は国家の競争戦略であるにしても,経済の側面ばかりに偏り,ITによって日本の民主主義社会をどう鍛えていくかという発想がないのも気になるところだ。にもかかわらずe-Japan重点計画では,地方自治体における電子投票の推進が盛り込まれていたりする。個人情報保護法を巡る大混乱も,おおもとはこうした“e-デモクラシー”の意識の希薄さに起因するような気がしてならない。

 e-Japan戦略の意義は評価するが,このままではまずい。何よりもまず,e-Japan戦略の内実がほとんど知られていない現状を何とかする必要がある。政府ももっと“e-Japan”をPRし,情報公開を強化すべきだ。それによって,国民や企業から協力を得ると共に,監視を受ける形にもっていかなければいけない。当然PRだけでなく,各施策の実施状況について国民・企業からフィードバックを受ける仕組みも必要だ。

 冒頭の学校の話を例にすれば,情報さえ提供されれば,企業や住民が協力できることはいくらでもある。企業なら中古パソコンを多数寄贈できる。まさか,それがMS-DOS機であるはずもないだろう。また近隣の住民でインターネットに詳しい人が,ボランティアで教師にインターネットの利用法を教えることもできる。また,こうした現状が施策にフィードバックされれば,政府ももっと内容のある施策を打ち出せる。

 結局のところ国の競争力は,こうした積み重ねから生まれてくるはずだ。竹中大臣も「国民の知的な力が問われている。日本人の知的な力が強ければ,間違いなくIT革命の成果が出る」と語る。その通り。だから,手を打つ必要がある。メルマガを出して終わりじゃ,困るんですよ。小泉さん。

(木村 岳史=日経ネットビジネス副編集長)