人に会って話を聞くインタビュー(取材)は記者の力量が問われる一番の勝負どころ。相手がだれであっても十分な準備をし,精神集中を高めて臨むのが私のポリシーだ。でも,たった一人にインタビューするためだけに海外出張するとなると,その準備も気合いの入れようも一段大掛かりになる。

 現在書店に並んでいる日経ソフトウエア(2002年7月号)に掲載した米MicrosoftのAnders Hejlsberg(アンダース・ヘルスバーグ)へのインタビューは,そんな仕事であった。

Anders Hejlsbergを知っていますか?

 Anders Hejlsbergと聞いてもピンと来ない方が多いだろう。彼は米Borland International(現Borland Software)の開発ツール「Turbo Pascal(ターボ・パスカル)」の作者で,その後継製品「Delphi(デルファイ)」のチーフ・アーキテクトでもあった。

 1996年にライバル会社のMicrosoftに移籍してVisual J++の開発に参加,そして2000年7月にMicrosoftがフロリダ州オーランドで開催した開発者会議(Professional Developers Conference=PDC)では,同社が社運をかける「.NET(ドットネット)構想」の中核製品,Visual Studio .NETのプレゼンテーターを務めた。それによって,.NET構想を技術面でリードする存在として,彼は世に知られることになったのである。

 彼の肩書きはDistinguished Engineer(以下DEと略,特別エンジニアという訳が適当だろう)だ。DEは,Microsoftにおける技術者の最高位であり,現在15人しか存在しない。2001年6月30日の時点で,同社の従業員は世界で約4万7600人(米国に3万3000人,ほかに1万4600人)おり,製品の研究や開発にたずさわっている従業員だけでも1万9400人いる。その頂点に立つ15人のDEはまさに「神様」のような存在なのだ。

 ソフト開発者のための雑誌,日経ソフトウエアで働く記者の一人として,この2年間,一番インタビューしたかったのが,このAnders Hejlsbergだ。Delphiプログラマである私にとっては「憧れの人」でもある。

 しかし,彼のアポイントメントを取るのは決して簡単なことではなかった。何しろDEである。これがManagerとかDirectorとかPresidentとかだったら,彼らは製品やサービスを売るのが仕事だから,雑誌などの媒体を通じて潜在顧客にアピールするのも仕事のうちだ。しかしDEは,優れたソフトを作ることのみに集中し,ほかは何もしなくていいという,大幅な自由を与えられた存在なのだ。

 そんなわけで,日本法人のマイクロソフトの担当者から「さ来週の月曜日,昼の12時から13時まで,Redmondの本社で」という連絡が入ったとき,私は本当に頭を下げたい気分になった。マイクロソフトの人たちが「彼ならきっとAndersにいやな思いをさせることはないから」と口添えしてくれたのだろうと思うと,これは失敗できんなあ,と責任を感じざるを得ない。相手が(その社内で)地位の高い人の場合,怒ってしまうといろいろな人に迷惑がかかる恐れがあるものである。

時間に遅れないことが第一

 何より大事なのは,正しい場所に遅れずに到着することだ。宿泊は,インターネットの検索サイトで「Redmond Hotel」などと入力して探し,「Microsoftまで数分」といううたい文句の民宿(Bed & Breakfast)を電子メールとファクシミリのやりとりで予約した。取材前日に空港に着き,そこでレンタカーを借りて宿へ向かう。宿へのルートはハンディGPS(Global Positioning Satelite)端末に入れておき,レンタカーのダッシュボードにそれを置いて補助に使う。

 宿では「近所に本屋さんない?」と聞き,車で本屋へ行ってRedmondの地図を買う。次に向かうのはMicrosoft本社だ。本社といっても建物がたくさんあるので,目的の番号のビルディングを探すのは大変だ。来客用駐車スペースと玄関の場所を確認したら,そこと宿の間を車で何度か往復する。

 曲がり角の緯度経度をGPS端末に記憶させ,ルート設定をする。どこでどの車線に入れば正しく曲がれるか,練習を積み,所要時間を計測する。「ウロウロしていて守衛さんに怪しまれるとやだなあ」と心配したのだが,幸いそういう状況は生じなかった。

 もちろん,インタビューをする相手について知っておくことは重要だ。インターネットの検索サイトに「Anders Hejlsberg」と打ち込み,彼の名前が出てくるサイトを一つずつ読む。重要だと思ったものは印刷して飛行機の中で熟読する。

 例えば,英語のインタビュー記事は大変参考になる。自分が聞きたいことと重なっている部分があるので,どのような単語が用いられているかわかる。相手が「何度も聞かれてうんざり」と感じるのがどんな質問かもわかる。

 MicrosoftのWebサイトでAndersの経歴を見付けたので,それも印刷して持参した。インタビューで見せて「これに誤りはないか」と聞けば時間を節約できるからだ。同僚がMSDNサブスクリプション(マイクロソフトが開発者向けに販売しているCD-ROMのセット)の中に彼がしゃべっているビデオ画像があると教えてくれたので,パソコンで何度もそれを見て,彼の英語の発音に慣れる訓練もした。

 自らについて語る準備も不可欠だ。日経BP社とはどんな会社か,日経ソフトウエアはどんな雑誌か,今回来た人間はどんな人間なのか,それを話すのだ。会社や雑誌について語る場合は数値,たとえば何種類の雑誌を出しているのか,読者は何人いるのかなどが重要なので,それらは取材用メモの最初に赤字で書いておいた。

 数値を英語で言えるように練習もした。相手が日本語不可,英語OKの人の場合,私は英語で直接取材をする。通訳を頼まないのは,やはり時間がもったいないからだ。

 今回は最初にVisual C#のプロダクト・マネジャであるPrashant Sridharan氏を訪ねるようにと連絡があったので,その名前もネットで検索をかけた。「Advanced Java Networking」という書籍の著者らしい。編集部の書棚を見るとその日本語版があるので,それも持参することにした。

 Prashant氏に会ったときに「日本語版を持っているか?」と聞いたら「出るという話は聞いたが実物を見たことはない」というので,本をプレゼントした。

御礼と自己紹介からスタート

 取材当日は7時に起きてシャワーを浴びてひげを剃り,8時から朝食。今回泊まった民宿では,他の泊まり客やホスト夫婦とおしゃべりをしながら1時間くらいかけて朝食を取る。ものを食べるときに英語で話したくなんかないというのが正直なところだが,このときはあまり苦痛に感じなかった。どちらかと言えば,インタビューの準備体操をさせてもらったような感じである。

 そのあと庭を散歩したりして少しのんびりし,背広に着替えてカメラなどの持ち物を確かめ,車でMicrosoftへ向かう。10時50分には駐車場に入り,多少時間をつぶして11時に受け付けへ。「早く着いてしまったので」と言い訳して,そこにあるソファの一つを貸してもらい,精神集中のスタートだ。

 質問を考えて取材メモに赤ペンで書き込むのはこの時である。インタビューは英語で行うので,質問は英語で書く。カバンから英和/和英辞書を引っ張り出して使う。質問の順番も重要だ。会話がうまく流れ始めれば,相手が気持ちよく話をしてくれるようになり,気持ちよく話してくれれば話が面白くなるからだ。

 座っていると,Microsoftの従業員が出入りしたり,私以外の来客があったりする。ときどきそういうのを眺めたりしてボーッとする。そうこうしているうちに,少しずつ自分がその場の雰囲気になじんでいくのを感じる。

 Andersがノート・パソコンを持って現れて(取材がつまらなかったら使う気だったんだろうか?)取材が始まった。最初に「時間を取ってくれてありがとう」と礼を述べ,次に「2000年のPDCではあなたに声をかけたかったのだが,うまくいかなかった」と,自分がいかにあなたにインタビューしたいと思ってきたかを話す。

 「私の英語力は十分ではないのでイライラするかもしれないが,そこは我慢してくれ」ともお願いする。「俺の日本語よりはマシだから,気にしなくていいよ」と言ってもらえてホッとする。続いて日経ソフトウエアを見せながら,こちらの会社のことや,雑誌のこと,読者のことを話す。この辺をまじめに聞いてもらえれば,インタビューの第一段階は成功だ。

 最初に話すのは,自分の英語がどのレベルであるかを示す狙いもある。こちらがある程度の時間をかけて話すと,相手は「この人にはあまり難しい表現をしてもわからないな」とか,「あまり速く話すとわからないだろうな」などと推察してくれる。これがうまくいくと,インタビューはかなりやりやすくなる。

ノって来たら制御はできない

 計画的にできるのは,大体ここまで。実際に質問と答えをやりとりする段階に至ると,インタビューの流れはほとんど制御できなくなる。相手の答えを聞いて,自分がさらに深く知りたいところがあればそれを尋ねる。相手が次に話したいことがありそうだったら,それを聞きたそうな相づちを打って,先を話してもらう。話がはずめばはずむほど,事前に計画していたようには進まないものだ。

 私は取材の録音は原則としてしない。録音をすると口が重くなる人が多いこと,録音するとメモ取りを怠りがちなこと,録音は失敗するかもしれないこと,が理由だ(これまで13年の記者生活のうち録音を要求してきたのはBill Gatesだけで,その理由は「記者がメモを取るのを待つのが嫌だから」という恐れ入ったものだった)。

 英語で取材をする場合は,日本語訳する時間がもったいないので英語のままメモを取る。ただ,直感的に「こう言いたいんだな」とわかる瞬間がたまにあって,それは日本語で書くこともある。

 聞く,メモを取る,自分が何を言うか考える,という作業を英語で並行させるのは,私にとってかなり大変なことだ。集中を持続できるのは1時間がいいところである。

 だから「そろそろ時間だから」と言われるころにはかなり疲れていて,最後は「私たちの読者に何か言いたいことは?」という質問をよくする。これは相手にフリーハンドを与えるやり方で,驚いて考え込む人も少なくない。そして,2分の1くらいの確率で面白いことを言ってもらえる。相手が「俺は言いたいことを言った」という印象を持ってくれるのもメリットだ。

 写真撮影は最後にする。ここまでが和気あいあいと進めば,大体拒否されない。最後にするのは,そこまでのインタビューで相手が打ち解けて,親しげな表情になってくれるのを期待する意味もある。まあ,これは大体そうなるものである。

 あとは書くだけ。このときは,インタビュー翌日の火曜日に米国を発ち,水曜日に日本に着いて一晩よく眠り,木曜日に4ページ分のインタビュー記事を書き上げた。タイトルは,「必要なのはパッションだ! 生みの親が語る.NETとC#の精神」である。

(原田 英生=日経ソフトウエア編集)