無線LANを使って駅や喫茶店,ハンバーガー・ショップなどから高速でインターネットに接続できる無線LANアクセス(あるいはホットスポット)・サービスのニュースが相次いでいる。NTTコミュニケーションズが5月に本格的にサービスを開始し,ソフトバンク・グループはマクドナルドやミスタードーナツなどの店舗で試験サービスを始めると発表した。

 無線LANアクセス・サービスの狙いは,オフィスや家庭で使っているノート・パソコンを持ち出して,そのまま高速にインターネットへアクセスできる点だといわれている。でも,最近ちょっと疑問に思う。高速でインターネットにアクセスできるだけじゃ面白くない。無線LANアクセスって,もっと面白い使い方ができるんじゃないだろうか?

 そのキーワードになりそうだと筆者が感じているのがAR(Augmented Reality)システムである。ARシステムについてご存知のない読者がいるかもしれないので,まず簡単に説明しておこう。

リアルな世界の認識を手助けする“強化現実”

 ARは“強化現実”と訳される。コンピュータで情報を補うことでリアルな世界の認識を助けるシステムのことである。具体的には,眼鏡やスキーのゴーグルのようなヘッドマウント・ディスプレイを身に付け,そこにビデオ・カメラで取り込んだ実際の画像と,その画像に関連した付加的な情報を合わせて表示するというもの。

 例えば,ヘッドマウント・ディスプレイ越しに歴史のある建物を見ると,ディスプレイ上で建物の横にその由来を文字情報で表示する。視線をレストランに移すと,そのレストランの今日のメニューが現れる――といった具合だ(百聞は一見にしかず。具体的なイメージはこちらを見てほしい)。

 究極的なARシステムは,自分の位置を捕らえるGPS機能を持ったウエアラブル・コンピュータに,視線を捕捉する機能とビデオカメラを備えたヘッドマウント・ディスプレイをつないで使う。頭がどっちの方向を向いているかを判断するジャイロ・スコープも必要かもしれない。さらにパソコンには,画像認識機能とさまざまな情報を管理するデータベース・システムが不可欠になる。

 こうした機能を融合させることで,ユーザーが見たものと,それに関する情報を画面に合成して表示可能になる。ARシステムが実用化されれば,例えば,人と会って「顔は思い出せるんだけど名前が出てこない」といった場合でも,画像認識技術でその人物を特定し,名前や所属する企業名などの関連情報をディスプレイに表示できるようになる。

 家族でハイキングに行って,子供に「これ,なんていう花?」と聞かれても,名前だけじゃなく群生地などの関連する事がらまで自信を持って教えられる。このように,現実の認識を強化するから“強化現実”と呼ばれているわけだ。

地域に根ざした“リアル”な情報を提供

 では,ARと無線LANアクセス・サービスをどのように結び付けるのか。ディスプレイを装着して視覚に入ってくる映像に情報のリンクを張るというところまでARが実用化されるのは,まだ先の話。しかし,無線LANアクセス・サービスをうまく活用すれば,無線LANのアクセス・ポイントの位置情報からユーザーがいる場所を判断し,周辺の情報を提供できる。

 例えば,出張先のホテルのロビーでサービスを利用したときにその周辺で評判のいいレストランの情報や最寄の駅の時刻表を入手したり,旅行先で観光スポットの情報を仕入れるといったアプリケーションがすぐに考え付く。実際に,5月15日に無線LANアクセス「ホットスポット」を始めたNTTコミュニケーションは,今後の展開として,位置情報を基にしたコンテンツ・サービスの開発をシャープなどと共同で進めていく計画を明らかにしている。

 この考え方は,「どこでもインターネット(=バーチャルな世界)にアクセスできる環境を提供する」というこれまでの無線LANアクセス・サービスのイメージから,「その場所(=リアルな世界)に関連した情報を提供する」という,180度方向性を変えたアプローチだといえる。

 インターネットのアプリケーションとして見るなら,「なかなかリアルな世界と連係が取れなかったインターネットが,ようやくリアルな世界で活用できるようになるブレイクスルー」ともいえるだろう。

先行する携帯電話やPHSと何が違う?

 ここまで読んで,多くの読者はこう言うだろう。「それって,携帯電話やPHSですでに始まっている位置情報サービスのことじゃないの?」――。

 まさにそのとおり。自分のいる場所の情報をGPS(Global Positioning System)や携帯電話の基地局などで判断し,その位置情報を基にさまざまな情報を提供するという試みは,すでに実用段階にある。ただ,携帯電話のサービスと無線LANアクセス・サービスの間には,大きな違いが二つある。それは,位置情報の確認方法と端末の能力だ。

 携帯電話やPHSの場合,位置を捕捉するのは,基地局だけで実現するケースとGPSと携帯電話の基地局を組み合わせて実現するケースに分かれる。基地局だけしか使わないと,基地局エリアがユーザーの“位置”と見なされるため,位置情報としての精度は低くなる。GPSを使えば数mといった精度の詳細な位置情報を得られる一方,端末がGPS機能を搭載しなければならないというハードルがある。GPSを運用する米軍の都合で位置情報の精度が低くされる場合もある。

 一方,無線LANのアクセス・ポイントで位置を識別するという手法なら,通信に使う無線LAN機能だけで特別な機能は必要ない。その上,無線LANの電波が届く範囲がユーザーの“位置”となり,携帯電話の基地局を使うケースに比べて精度が高くなる。つまり,携帯電話事業者が現在提供しているレベルの位置情報サービスなら,無線LANアクセスでも今すぐに提供できるということだ。

“強化現実”には高機能な端末が不可欠

 さらに,端末の能力差を考えると,パソコンを使う無線LANアクセスのほうがよりARシステムに近い面白みのあるサービスを期待できそうだ。

 CPUの処理能力の差はもちろんだが,両者で決定的に違うのが表示画面のサイズ。携帯電話で最大の弱点となるのが,この画面の小ささである。

 最新のiモード対応携帯電話機「D504i」の画面は132×176ドット。表示できる情報量は限られるし,一度に一つのアプリケーションしか利用できない。一方のノート・パソコンは,1024×768ドット程度の表示エリアがある。マルチ・ウインドウで複数の処理を同時にこなせるので,インターネット・アクセス用のWebブラウザとは別に,周辺の情報を表示するアプリケーションのウインドウを表示できる。

 ノート・パソコンが対象なら,プッシュ型のアプリケーションで情報を表示するといったアプローチもありえる。そうなると,周辺地域の店舗の広告を流すことで無線LANアクセスの料金を抑えるといった,ビジネス・モデルが復活するかもしれない。

 容量の大きなディスク装置を備えている点もパソコンのメリットになる。パソコンなら地図や文字情報だけでなく,例えばレストランの外観や観光スポットの写真,説明の音声ファイル,その地域のさまざまな店舗に関するデータベースなどを一気にダウンロードしておける。IEEE802.11bで11Mビット/秒,802.11aなら54Mビット/秒という高速性が生かせる。携帯電話だと,その都度情報を呼び出さなければならないうえ,通信速度もまだ遅い。

無線LANだけではARシステムは実現できない

 ただ,携帯電話のほうが勝っている点が二つある。それは,利用できるエリアの広さと携帯性だ。

 エリアの差はデータをディスクにダウンロードしておくことである程度対応できるかもしれないが,携帯性では携帯電話に太刀打ちできない。最近になってようやく電車内でもノート・パソコンを開くユーザーを見かけるようになったが,ユーザー数はまだまだ少数。iモードなどのブラウザフォン・サービスを利用するユーザー数の比ではない。

 過渡的なARシステムとしてみた場合,携帯電話より無線LANアクセス・サービスのほうに魅力を感じてしまうが,将来にわたっての可能性になると話は別。無線LANアクセスが,携帯電話サービスの携帯性とエリアに追いつくのは困難だ。現状を見るかぎり,視覚に入ってくる画像に対して常に情報を付け加える究極のARシステムは,携帯電話と無線LANアクセスを融合させたサービスの先にあるような気がする。

 その点では,第3世代携帯電話で実現する144kビット/秒や2.4Gビット/秒のデータ通信サービスと11Mビット/秒の無線LANを自動的に切り替えるKDDIとシスコシステムの実験(関連記事)は,ARシステムの実現という意味でも興味深いものといえそうだ。

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 くり返しになるが,筆者は,無線LANアクセスが単なるインターネット接続サービスで終わるのでは面白くないと思っている。バーチャルな世界で情報にほんろうされるのではなく,リアルな世界に情報を活用する――。無線LANアクセス・サービスがARシステムの実現へ向けた第一歩となるのか,その行方を見ていきたい。

(藤川 雅朗=日経NETWORK副編集長)