「IBMがHALの開発に挑戦する」といったら大風呂敷過ぎるが,HALのほんの一部の機能を具現化する,という表現なら間違いではないだろう。米IBMが開発構想をぶちあげたのは「オートノミック(自律的)コンピュータ」。つまり,人間のように身体を健康に保っておく調整も治癒も自動的に行うコンピュータのことである。

 HALは1968年に公開された映画「2001年宇宙の旅」の主役的存在だったAI(人工知能)コンピュータの名だ。木星探査宇宙船「ディスカバリー号」の中に据え付けられた家ほどの大きなマシンで,正確にはHAL9000。不気味な赤い目で凝視する完全無欠なテクノロジの権化でもある。嘘もつければ,人間の声も完璧に理解できる。

 アルファベットのIとBとMそれぞれの一つ前をとると「H,A,L」。そこでHALは「IBMに一歩先んじる」コンピュータとされた。作者のアーサー・C・クラーク氏は,それをまったく意図せず,HAL(Heuristic ALgorithmic=発見的アルゴリズム)の略だという。HALの「火入れ」は1997年1月12日。今のテクノロジをしてもHALのようなマシンはできそうもないし,5人の乗組員のうち4人を殺すようなコンピュータでは困る。
 
 IBMの研究開発部門が目指すのは自己管理/自己修復機能を備えたエンタープライズ・レベルのシステムの開発だ。これが完成すれば,「IT(情報技術)に従事する何百人,何千人もの人間が,複雑なシステム管理という世俗的な仕事から解放され,最先端アプリケーションの開発に専念できるようになる」というのが,IBMの言い分だ。

何と10年後には,2億人の管理者が必要に?

 ITシステムはますます複雑になる一方である。企業のITデータセンターの規模が大きくなればなるほど,センターを効率良く運営する運用要員不足に直面する。データセンターで運用の仕事をする人たちは,システムのパフォーマンスをモニターし,システムの故障を処理し,バックアップ・データをとる。

 ところが,インターネット・データセンター(IDC)のように1万台ものサーバーを設置するようになると,高度な教育訓練と高給をとる熟練技術者が数多く必要になる。一般には,サーバー10台ごとに運用管理者一人が必要とされる。あるIDCの見積もりでは,インターネットやeビジネスの拡大につれ,データセンターは数年後に5万台のサーバーを収容するようになり,5000人もの運用管理者を置かねばならない。

 IBMは10年以内に世界全体のITインフラ管理のために,何と米国の総人口に近い2億人が必要になると予想する。これを解決するには,自動的に保守を行い,自動的に管理し,人間の介在を最低限に抑えるコンピュータ・システムの開発が必要になる。IBMはこれをITコミュニティ全体の課題だとし,このようなシステムの開発をIT業界はもちろん,大学や政府関係機関に呼びかけた。

 IBMはこの自律型システム開発のために今年中に約50件の研究助成金を拠出する計画。カリフォルニア大学バークレー校やテキサス大学,ウイスコンシン大学,ミシガン大学など複数の大学が関連のプロジェクトに取り組んでいる。今後数年間で25億ドルの開発資金をIBMは費やす考えだ。 

IBM自身も自律コンピューティングで多くの恩恵を受ける

 システム運用の壁に挑戦しようとしているのは,IBMだけではない。米HP(ヒューレット・パッカード)は「FabricOS」という新しいタイプのデータセンター用OSを構想している。同社のアプローチは「バーチャル・データセンター」の運用。全世界に散在するデータセンターを,あたかも一つのように働かせるOSの開発だ。

 データセンターOSによって,高額な運用技術者の節約ができるばかりか,使っていないシステムに仕事を分担させることもできる。コンピューティング・パワーやファイル,アプリケーション・ソフトを超高速ネットワークで共有するグリッド・コンピューティングの実現にも役立つ。

 データセンターOS技術への需要は旺盛だ。例えば,CERN(欧州合同素粒子原子核研究機構)は,サーバー10万台を備えた仮想データセンターを計画している。20ぺタバイト(1ぺタバイトは100万ギガバイト)のストレージを数データセンターに開放。世界中の研究者からアクセス可能にする。CERNは,このような大データセンターの管理方法についてHPなどと話し合っている。

 実はIBMもまた,自律コンピューティングやデータセンターOSの恩恵を多く受けそうだ。IBMはITアウトソーシング企業としては世界最大。何千社ものシステムを管理している。IBMを自律コンピューティング技術の最大の利用者にする足を引っ張っているのは,アウトソーシング・ビジネスに必要とされる労働力なのだから。

(北川 賢一=日経システムプロバイダ主席編集委員)