ご存じの通り,ブロードバンド・サービスのユーザーが急増している。総務省の発表によると,2001年12月末時点のxDSL(Digital Subscriber Line)加入者数は約152万。2001年9月末時点で約115万加入者だったCATVインターネットも増えていると考えられ,両加入者を合わせると,現在は280万ユーザー程度と思われる。数の上ではまだ少ないが,光ファイバを家庭に引き込むFTTH(Fiber To The Home)サービスのユーザーもこれに加わる。
ブロードバンド加入者がBSデジタル放送の視聴者を超えた
この数字を放送サービスと比べるとどうか? 2000年12月から本放送が始まったBS(放送衛星)デジタル放送は,BSデジタル受信機とCATV経由の視聴可能世帯数を合計すると2001年10月末時点で約230万。CS(通信衛星)放送の「スカイパーフェクTV!」は,契約者数が約290万。ブロードバンド・サービスは,数の上ではBSデジタル放送を上回り,CS放送に迫る勢いだ。スカイパーフェクTV!は,今年開催されるサッカーの「2002 FIFAワールドカップ」の全64試合を生中継するなど,加入者の大幅な上積みも期待できるが,それでも破竹の勢いで増え続けるブロードバンド・ユーザーが上回るのは時間の問題だ。
これらの数字で何が言いたいかといえば,ブロードバンド・サービスのユーザーを対象にした放送が現実味を帯びてきたということだ。ブロードバンド・サービス加入者に対してネットワーク経由で“番組”を提供すれば,BSデジタル放送やCS放送に匹敵する“放送メディア”となるだろう。実際,放送関係者もブロードバンドに対して少なからぬ期待を持ち始めた。放送局は,地上波アナログから地上波デジタル放送への移行を迫られているが,関係者によると,ブロードバンドの方が有望で,地上波デジタルの存在意義を疑問視する声さえ局内に出てきているという。
もちろん,ブロードバンド・サービスと放送はまったく異なる特性を持ったメディアだという意見もある。そもそも通信は,放送ほど“マス”を対象にしたものではないからだ。よりパーソナルなメディアとして放送とは異なった形で発展する可能性も高い。しかし,人気の高い良質のコンテンツ制作には「人,モノ,金」が必要なことが多いのは事実。そのコストを回収するには,“マス”をターゲットにしなければならない場合もあることだけは確かだ。
現状では数万人への同時配信でアップアップ
だが,ブロードバンド・サービスですぐに放送と同じような番組を提供できるかと言えば,必ずしもそうではない。ユーザー数では,一部の放送サービスを上回るブロードバンドも,同時配信規模ではまだまだ放送にかなわないからだ。放送は,仮に全加入者が同じ番組を見ても,システム上はまったく問題がない。しかしブロードバンド・サービスは,今のところ同時配信数で数万の実績しかない。技術的な限界があるのだ。
2001年9月に発生した米国の同時多発テロのニュースが同時アクセスで3万~4万。これが日本では最大規模だという。エイベックス ネットワークがエキサイトの協力を得て2001年12月31日に実施した「浜崎あゆみ」など3人の人気アーティストのライブ配信も,300kビット/秒のエンコーディング映像の「S席」は3アーチストの合計で8000ユーザーに限定した。56kビット/秒の「A席」を加えても2万ユーザー。多くの“チケット”を用意して売れるかどうかという問題もあるが,品質を保つためには限定にせざるを得ないという側面もある。技術的には,数十万から100万といった数の同時配信は難しいのが現状だ。
今年中に,ブロードバンド・ユーザーは500万をゆうに超えるだろう。政府が2001年1月に打ち出した「e-Japan戦略」では,2005年までに少なくとも3000万世帯が数Mビット/秒の高速インターネット接続を利用できるようにする目標が掲げられた。しかしこのままでは,ユーザー数が数百万,数千万のレベルに引き上げられても,視聴率20%を獲得するような人気番組を放送することはできそうもない。
IPマルチキャストも見直されてきた
ただ,ブロードバンドの技術革新には目を見張るものがある。通信事業者や通信機器メーカーも,当面,100万程度の配信の確立をめどにさまざまな実験や製品開発を進めている。技術進化のポイントは大きく三つ。(1)映像配信を担うセンター・サーバーの高性能化,(2)コンテンツをキャッシュして中継する小規模サーバーをネットワークのエッジに分散配置,(3)IPマルチキャスト技術--だ。これらの技術を組み合わせることで,近い将来,100万程度あるいはそれを超える配信も可能になりそうだ。
IPマルチキャストも,これまでは「使えない」という評判が一般的だった。IPマルチキャストに対応していない通信機器に対して無駄なブロードキャスト・パケットを送信したり,ユーザー認証機能がなかったからだ。しかし最近,無駄なブロードキャストの問題を解決した「PIM-SM」プロトコルが標準化されたり,古河電気工業などが課金機能を搭載したIPマルチキャスト対応ルーターを製品化した。
こうした変化を背景に,インターネット接続事業者(プロバイダ)やコンテンツ配信サービス事業者(CDSP)もIPマルチキャストの導入を少しずつ進めている。NTT系のコンテンツ配信サービス事業者であるNTTブロードバンドイニシアティブ(NTT-BB)も,IPマルチキャストの採用を検討中だと言う。個人向けに普及が進むブロードバンド・ルーターに対応製品が少ないことなど,依然として課題はあるが,IPマルチキャストも少しずつ見直されてきている。
筆者はまだブロードバンド・サービスに加入していないが,遅くとも半年以内にはADSLサービスかCATVインターネットに加入しようと思っている。サッカーは大好きだが,残念ながら,それだけのためにCS放送に加入しようとは今のところ思っていない。ワールドカップ期間中だけのために,チューナーやアンテナ設備を購入するのがためらわれるからだ。その分,様々な用途に使える無線LANなどの通信機器に投資したいと考えている。
しかし,もしブロードバンド・サービスを通じてワールドカップの試合が中継されるとしたら,有料サービスでも加入した可能性は高い。消費者は,筆者のような「通信オタク」ばかりではないが,同じように考えるユーザーも少なくないだろう。
原則として無料の地上波テレビ放送は別格としても,ブロードバンド経由の放送を,衛星放送やケーブルテレビなどとの比較対象として考えるユーザーは今後,増えてくるだろう。「ブロードバンドでブロードキャスト」の時代が目前に迫っている。
(安井 晴海=日経コミュニケーション副編集長 兼 編集委員)
■「日経コミュニケーション」は,1月21日号で,「ブロードバンドは放送インフラになれるか」を特集します。関心のある方はぜひお読み下さい。