「この不況下でも,企業ネットワークの再構築の案件は多い。通信事業者が苦労してサービスの料金を値下げしてくれたおかげで,企業ユーザーはサービスを乗り換えるだけでコスト・メリットを出せるようになった」──。こう話してくれたのは,記者がよくお世話になるシステム・インテグレータ氏だ。

 確かに,電話やインターネット接続,各種専用線サービスなど,多くの通信サービスの料金はこの1,2年で急激に下がっている。さらに,この状況に拍車を掛けているのが,新種の通信サービス。代表格は,プロトコルにIPを使う仮想閉域網「IP-VPNサービス」と,全国規模のLAN環境を構築する「広域イーサネット・サービス」である。

 ただし,こうした新サービスのメリットは格安な料金だけではない。特に,広域イーサネット・サービスは,企業ネットワークの構築法を根本から変えてしまう可能性を秘めている。今回は広域イーサネット・サービスの持つ可能性と,それに至るまでの課題を再確認してみたい。

全国規模のネットワークが「LAN」になる意味

 広域イーサネット・サービスの真価は,文字通り「全国規模のLAN環境を構築できる」という点にある。

 本来「LAN」とは「Local Area Network」,つまり距離的に近くにある端末をつなぐネットワークのこと。それが「全国規模」とは矛盾した言い方ではある。ここで言う「LAN」は,「イーサネットだけで構築したネットワーク」と定義したい。つまり,装置としての「ルーター」を介在させずにLANスイッチだけで組み上げたネットワークである。「全国の拠点が1棟のビルの中に収まり,ネットワークを構築できるイメージ」と言えば分かりやすいだろう。

 従来は,本社や支社などの建物単位にWAN回線接続用のルーターを設置し,その間を専用線などの通信サービスでつないでいた。支社内にある様々な部署の情報がすべて拠点間を結ぶルーターに送られ,ルーターが通信のすべてを担っていた。

 このような構成は企業内のコンピュータ・ネットワークにとって,あるべき姿なのだろうか。具体的に言えば,物流に関係する部署は物流のネットワークを利用する頻度は高いが,製品企画の情報にアクセスすることは少ない。設計の3次元CADファイルをやり取りするのは,設計関連部署の間だけ。グループウエア上に構築した営業支援システムも,全国の営業担当者が利用するもの。経理や人事のシステムも同様だ。

 広域イーサネット・サービスを利用すれば,こうした各種業務システムのデータの流れを考慮し,拠点別ではなく業務別にシステムを分け,関係する部署で利用するといったネットワークの構築が可能になる。

 それを実現する技術が「バーチャルLAN」(VLAN)である。VLANは,LANスイッチで構築したイーサネット網を複数のイーサネット網に仮想的に分断する機能。広域イーサネット・サービス上でVLAN機能を使えば,各拠点で業務システムごとにVLANを設定したスイッチ・ネットワークを構築し,拠点間を広域イーサネットでつなぐことで,業務システム主導の企業内ネットワークを構築できる。

 同じ業務システムを構成するサーバーとクライアントの間の通信はルーターを経由せずに済む。通信に介在するルーターがなくなれば,それだけレスポンスは向上する。業務の異なる部署間の通信だけにルーター機能を利用することで,ネットワーク全体で必要とされるルーティング処理性能も低く抑えられる。

 しかし,広域イーサネット・サービスを使って,このような業務主体のネットワークを構築した事例はまだないようだ。ユーザーの多くは,従来と同様,各拠点に設置したルーター間を結ぶ格安な通信サービスとして広域イーサネットを利用しているのである。

 なぜか。理由の一つは,IPアドレスにある。

足かせになる「IPアドレス」

 すでに多くの企業はTCP/IPのネットワークを構築済みだ。当然ながら,各端末にはIPアドレスが割り振られている。IPアドレスは,本社,支社などの建物単位,もしくは建物内の部署やフロア単位にIPサブネットを区切って割り当てられているケースが多い。

 サブネットとは,イーサネットでいうところの「ブロードキャスト・ドメイン」。つまりブロードキャスト・パケットが届く範囲である。「ルーターを介在させずにレイヤー2(イーサネット)スイッチやハブで構成したネットワーク範囲」と言い換えることもできる。前段で説明した「VLANで業務システムごとに区切られたネットワーク」も,このサブネットを指している。

 つまり,従来構成の社内ネットワークを業務システムごとに区切られたネットワークに置き換えるには,建物やフロア単位に割り振られていたIPアドレスの体系を業務システム単位に作り直し,すべての端末のIPアドレスを再設定しなければならないのである。

 端末となるパソコンに自動的にIPアドレスを設定する「DHCP」(Dynamic Host Configuration Protocol)機能を採用している企業ユーザーであれば,IPアドレスの再設定の負荷はさほど大きくない。DHCPサーバー側の設定を変えれば,その配下につながるパソコンのIPアドレスを一気に変更することも可能だからだ。

 クライアント・パソコンのOSを一気に入れ換えるタイミングで全クライアントをDHCPを使う設定にしてしまえば,ネットワークの構成変更の足かせから逃れられる。また,次世代の「IPv6」が浸透すれば,この問題は自然と解決する。IPv6には標準機能としてDHCP的な仕組みが組み込まれており,個々の端末にIPアドレスを設定する手間がなくなる。

 しかし,DHCPを全面的に採用している企業ユーザーは少ない。IPv6に至っては,遠い将来のことと考えている企業ユーザーが大多数だろう。こうした状況では,アドレスの再設定は企業ユーザーにとって大きな手間。そこまでしてネットワークを再構成するのは現実的ではない。よって,広域イーサネット・サービスは,「ルーター間通信用の格安WANサービス」として使われることになる。

ブロードキャスト・パケットのために料金を払えるか?

 拠点間通信にルーターを使わないネットワークへの移行を妨げている理由は,企業ユーザーの意識にもある。

 サブネットの中は,サブネットにつながる全端末へ同報される「ブロードキャスト・パケット」が流れる。ブロードキャストは,例えばIPアドレスからイーサネット上のアドレス(MACアドレス)を特定するプロトコル「ARP」(Address Resolution Protocol)などで使われる。ルーターで拠点間を結ぶ従来型のネットワークであれば,ルーターがブロードキャスト・パケットを遮断し,WAN回線上にはブロードキャスト・パケットは流れない。しかし,広域イーサネット・サービスで全国規模の「LAN」を構築すると,その中をブロードキャスト・パケットが流れることになる。

 サブネットに接続している端末数が多くなればなるほど,ブロードキャスト・パケットも増加する。上位層プロトコルがブロードキャスト・パケットを多く使うものだと,本来のデータ通信に利用する帯域をブロードキャストが圧迫するという事態にもなりかねない。従来はルーターでせき止められていたブロードキャスト・パケットのために広域イーサネット・サービスの料金を支払うという,おかしな状況になるかもしれないのだ。

 10Mビット/秒や100Mビット/秒の帯域があれば,ブロードキャスト・パケットも気にならないかもしれない。しかし,いくら広域イーサネット・サービスが従来の通信サービスに比べて格安だといっても,10Mや100Mビット/秒のサービスはまだまだ高価。じゃぶじゃぶ帯域を利用できる10Mや100Mビット/秒のサービスが,企業の支店や営業所にも引き込める程度の料金にならないと,「どうしてブロードキャスト・パケットのために料金を払わなければならないのか」という疑問を払拭することはできないだろう。

まだまだ課題は山積している

 ここまでは,企業ユーザー側の視点で書いてきたが,通信事業者側から見ても,広域イーサネット・サービスにはまだまだ課題が多い。

 例えば,通信サービスとしての信頼性の確保。イーサネットはそもそもLANの技術であり,WANサービスの基盤として利用することを想定していない。高速ディジタル専用サービスなどで使われる回線終端装置(DSU)が障害個所を切り分けるために持っているループバック機能などは,イーサネット仕様の中には含まれていない。耐障害性が高いリング型のネットワーク構成も,イーサネットでは実現できない。

 サービスの拡張性にも課題はある。前述のVLAN機能だが,標準仕様では最大4096までしかVLANを設定できない。より拡張性のある仕組みを取り入れないと,サービスの普及は見込めない。10Mや100Mビット/秒のサービスをより低コストで実現するアクセス回線のイーサネット標準も必要だ。

 しかし,イーサネットはこうした課題をクリアすべく,日々進化を続けている。イーサネット自身は,着々とWANへ進出する「実力」を身に付けつつある。

 ユーザー側,通信事業者側,双方の課題が解決された時,広域イーサネット・サービスが本領を発揮する。その日は意外と近いのかもしれない。

(藤川 雅朗=前・日経コミュニケーション副編集長/現・日経NETWORK副編集長)

■「日経コミュニケーション」11月5日号では,WANへ進出するイーサネットの取り組みをまとめた特集記事「イーサネット,新天地に挑む----LANの覇者がWANの中核技術を目指す」を掲載します。関心のある方はぜひお読み下さい。概要は日経コミュニケーションのホームページでご覧いただけます。