データ・センター,サーバー,ネットワークという「ネット三種の神器」のトップ・ベンダーが揃ってネット・バブル崩壊の手ひどい洗礼を受けている。

 インターネット・データ・センターの最大手,米エクソダス コミュニケーションズは35億ドル(4200億円)もの負債を抱えて9月末に倒産した。また,エクソダス社のデータセンターに設置されているサーバー機の約8割を占め,2000年の米サーバー市場でチャンピオンに輝いた米サン・マイクロシステムズも,7~9月期の売上高が前年同期比43~47%減,3~4億ドル(360~480億円)もの営業赤字が必至の情勢だ。さらにネットワーク機器最大手の米シスコシステムズの2~4月期と5~7月期の営業利益は実に94%減と98%減。2期連続で9割を超える大減益に陥った。

 3社は急成長,急降下という“逆V字型”飛行を極めて短期間で演じてみせた。これほどの逆V字はITの歴史でめったにあるものではない。これを機会にネットバブルとは一体何だったのかを振り返るのも,秋の時節に相応しかろう。

 「ニュー・エコノミは95年8月9日に米国で誕生した」というのが,今では定説になっている。米ネットスケープ・コミュニケーションズが新規株式を公募(IPO)した日だ。28ドルで上場した株価は,その日の終わりに2倍の値を付けた。株は上がり続け,初期の投資家たちは幸運をつかみ,その後5年余り続いたインターネット狂乱の幕が切って落とされたのである。

 ネットスケープ上場前の5年間と上場後の5年間とでは,米国経済の状況は大きく変貌した。どの経済指標をみても,良い方向へ変わったのだ。GDP(国内総生産)成長率は3.3%(上場前の5年平均)から4.3%(同上場後),生産性の伸び率は1.7%から2.8%,インフレ率は3.3%から2.3%,失業率は6.6%から4.8%などだ。

 ネットスケープ社はブラウザでインターネットを身近なものにしたが,「ネットスケープ効果」はそれだけではない。スタートアップ企業がベンチャー・キャピタルや株式市場から巨額の資金を引き出せることを証明した。

 IPOが相次ぎ,シリコンバレーの起業家の情熱はいつの間にか,「技術」から「富」へと変わっていった。起業家はビジネス・スーツを買う前に,既に1億ドルの資金を懐にした。ネットスケープ社のIPOが行われてから,つまりインターネットが一般化してから,競争の激化や加速度的な技術の変化,インフレ消滅というニュー・エコノミのパターンが定まった。

 もう一つ「ネットスケープ効果」で見逃せないのは,“大挑戦”を生んだことだ。技術をエンジン,融資をガソリンにしながら新興企業は攻撃の矛先を既存の企業に向けた。いわゆるオールド・エコノミのビジネスモデル打破に挑んだのだ。

 米アマゾン・ドットコムは米国最大の書店バーンズ・アンド・ノーブルに攻勢をかけ,米イートイズは米トイザラスを攻撃し,米イー・トレードは米メリル・リンチを攻め立てた。既存企業は,スピーディな行動や新技術の導入,値下げを強いられるようになった。

 技術変化の激しい分野では,恐れが投資への強い意欲を生む。

 物理的な店舗を構えて商売をしてきた企業は,破竹の勢いで台頭してきたドットコム企業に打ち負かされるのではないかと恐れおののいた。多くの既存企業は,利益の見込みや成功する保障がないのにもかかわらず,大枚をはたいてWebサイトの構築に殺到した。競争への参加料のようなものだ。米モルガン・スタンレーによれば,2000年の米企業のIT投資は1990年の3倍の5320億ドル(64兆円)。それも後半の5年に集中した。

 こういうIT特需をサーバー・ホスティングのエクソダス社やサン社,シスコ社が享受した。ドットコム企業はもちろん,彼らにビジネスを脅かされたオールド・エコノミのIT需要をガッチリ手にしたのである。

 しかしeビジネスを提唱した米IBMは,鈍重ゆえにドットコム企業に嫌われた。根っからのIBMファンであるはずの大企業も,ドットコムへの対抗上,彼らと同じマシン,つまりサンやシスコを採用した。インターネット狂乱の波に乗れなかったIBM社が皮肉というか幸いにも,ネットバブルの痛手を被っておらず,崩壊後の細ったIT需要をいまや独り享受している。

 だがニュー・エコノミといえども経済固有の問題を抱えていた。一体何が問題だったのか。

 テクノロジや革新に対するベンチャー融資や機関投資家の資金チャネルも,しょせんは株式市場の情勢やGDPの伸び,経済の成長予測などに左右されるもの。テクノロジは経済に組み込まれ,経済の変動と同期をとり始めたのだ。だから経済の下降傾向が出始めると,これまでニュー・エコノミを支えてきた強力な力は,最初は緩やかに,そして徐々に速く逆回転を始めた。追い打ちをかけるように,利益なきドットコム企業の実態も白日の下にさらされた。

 株価が下がり,経済成長が鈍化すると,新興のドットコム企業が成功する可能性は低くなる。そのため新技術を開発するリスクの高いビジネスの資金源だった融資チャネルが枯れる。米ウエブ・マネージャーズ・ドットコムによると,資金源を断たれたドットコム企業の倒産は2000年に225社だったが,2001年は6月末までに330社が倒産し,年末までに600社に達する見込みだ。

 ドットコム企業が減少すれば,ビジネス革新の波が鈍る。オールド・エコノミは競合他社からのプレッシャが弱まるので,急いで新しいIT技術を買う必要がなくなり,IT投資が減少する。メリル・リンチ社の9月の調査では,2001年の米企業のIT投資は前年比2.6%増の見込み。1月調査の9%増から急速に冷え込んだ。ITハードやソフト,サービスが売れなくなり,その先にレイオフが待っていた。

 1995年から2000年のあいだに増加した雇用者の半数以上は管理職種か専門職種に就いており,ネットバブル崩壊で最も厳しい影響を受けたのは彼らだった。特にニュー・エコノミと密接な仕事をしていたWebデザイナーやドットコム企業の管理者,営業員,ブームに乗じたコンサルタント,煽ったジャーナリストらである。IT技術者の不足感もほとんど沈静化した。

 以上が,今回のネットバブルが弾けるまでの経緯だ。先の3社には申し訳ないが,これでインターネット狂乱の精算も峠を越え,収束に向かってくれることをひたすら願うものだ。しかし突然の同時テロ多発と報復軍事行動が,今度はオールド・エコノミ企業のIT投資を一段と鈍らせる方に作用すれば,IT市場の回復は遠のく恐れもある。

 メリル・リンチの予測では2002年のIT投資の伸びは4.6%増。だが,これはワールド・トレードセンター崩壊の前日に発表した予測値である。

(北川 賢一=日経システムプロバイダ主席編集委員)