筆者は9月11日,米国サンフランシスコに滞在していた。デジタル関連の調査で西海岸からワシントン,ニューヨークへ渡る日程だった。ワシントンに移動する前日に当たるこの日の予定は,サンフランシスコに拠点を置く調査会社との意見交換だった。

 ところが事件をテレビで知った後に,相手のオフィスビルに到着したところ,そのビルには人の気配がない。奇妙な思いでエレベータを上がったがオフィスは閉まっている。周囲のオフィスも全く同じ状況だ。ようやく相手のスタッフの携帯番号をみつけて連絡をとったところ,今日は事業所は臨時閉鎖だと言う。

 そういえば,街中にはタクシーもバスも姿がなかった。街中に人の気配もなかったが,「攻撃を受ける危険があるので,自宅で待機せよ」という指示が出たようである。恐らくラジオなどでは伝えられたのだろうが,旅行者はラジオを聞くチャンスがない。ホテルの部屋では,ニューヨークとワシントンだけを映し出すテレビに釘付けだった。

 携帯電話に出たスタッフは,「サンフランシスコでテロ攻撃の標的にされる恐れがあるのは金門橋と,われわれが訪れているダウンタウンのオフィス街と警告されている」という。われわれも慌ててそのオフィスビルを離れたが,ニューヨークやワシントンだけではない,遠く離れた西海岸も空中からのテロ攻撃に対する緊張がみなぎっていた。旅行者である筆者は事情がよく飲み込めないので,日中から人の姿がめっきり少ない街を歩き回ったが,店はほとんど臨時休業。たまに開店している店も客はまばらだった。

 テロへの強硬姿勢を見せたブッシュ大統領の異常なまでの支持率には,いろいろな要因が重なっているのだろうが,恐らく,9月11日に米国民が感じた恐怖体験と無縁ではあるまい。

 11機の飛行機がハイジャックされて,7機が行方不明と一時伝えられた。その飛行機がどこに突撃してくるかわからない。サイレンこそ鳴っていないが,空襲警報下の24時間だったといえる。ニューヨークとワシントンの中継しか映らなかったテレビを見続けた日本人と恐怖の24時間を体験した米国人が,テロについての反応がまるで違うのも,致し方ないかもしれない。

 その緊張と恐怖が空港閉鎖につながった。国境での積み荷の検査も厳重になった。その結果,平和な世界を恒久的だと前提して作り上げた開放システムは打撃を受けた。在庫を極小化することで利益を生み出すサプライチェーン・マネジメント(SCM)がその代表例である。

 果たして,テロを前提にするこれからの世界システムのなかで,SCMはいままで通りの仕組みで通せるかどうか。平和を前提に構築してきた仕組みを見直さなければなるまい。少なくとも,その危機感で日米の認識の溝は深い。そしてITの仕組みに残した傷も。

(中島 洋=日経BP社編集委員)