小泉首相が所信表明演説で打ち出した「聖域なき構造改革」というキーワードを,様々な場面で耳にするようになった。政治・経済の話を取り上げたマスメディアではもちろんのこと,企業の経営層が自社の業務改革に対して,このキーワードを使うケースも多い。

 では,企業経営における聖域とは何を指すのだろうか。

 単純に言ってしまえば,「業界や自社の慣習・伝統,社内外の対抗勢力などによって,これまで改革に着手できなかった領域」だろう。しかし,こうした呪縛(じゅばく)も,インターネットの普及や社内の情報インフラの充実によって突き崩されつつある。

 というのも,改革を阻む「聖域=対抗勢力や慣習」は,情報を統制することによって自らの領域を守っているからだ。IT(情報技術)の導入が進むことによって,情報を制御することは難しくなる。ネットワークで情報が公開・共有されることで,情報をコントロールしづらくなるからだ。社内外にネットワークが張り巡らされた今だからこそ,「聖域なき業務改革」に踏む込めるようになったとも言える。

IT化に取り残された最後の「聖域」

 ただし,いくらIT化を進めても,旧態依然とした領域も残る。その最たるものが「根回し」である。

 根回しは,稟議(りんぎ)や決裁といった意思決定のプロセスと切り離せない関係にある。意思決定を下す際の判断材料として,要(かなめ)となる情報を収集する作業となっているからだ。いくら稟議書に豊富な資料が添付されていたとしても,それだけで意思決定ができるわけはない。事前に担当者が決裁者と打ち合わせの場をもったり,稟議書がきた段階で資料の「行間」を読むために,決裁者が担当者に問い合わせるといったことが常態化しているのが現実だ。

 稟議や決裁のIT化というと,稟議書を電子化して自動的に回覧するワークフロー管理システムが思い浮かぶ。しかし,「ワークフロー・システムは,意思決定プロセスのほんの表層部分を効率化するにすぎない」--日経情報ストラテジー最新号の特集「これでいいのか 意思決定プロセス」で取材した企業は,総じてこのように口をそろえる。

 NECで社内の情報化を統括する吉川英一専務は,「真の意思決定は,担当者間の話し合いなど根回しによってなされる。稟議書がまわってきた段階で初めて目にするような案件は,ほとんどないのが現実だ」と断じる。すなわち,意思決定プロセスのなかで,最終的な判断に最も大きな影響力を持っているのが根回しなのである。

根回しそのものをIT化

 このことは,ITを活用して根回しを支援すれば,意思決定のスピードや精度を向上できることを意味する。しかし,これまで根回しはIT化の視野には入ってこなかった。考えてみれば当たり前だ。根回しは,非公式な場で,担当者が相対(あいたい)で話し合うのだから,組織として支援しようがない。当然,ITで支援しようという機運が出てくるはずもない。

 このような状況のなかで,根回しのIT武装に乗り出す企業も登場している。例えば村田製作所は,稟議案件を決裁する前に起案者に内容の補足や修正を要求する過程をシステム化した。担当者間で口頭によってやり取りしていた「根回し」を電子的なコミュニケーションに置き換えたのである。

 この仕組みによって,従来は記録として残らなかった根回しのやり取りを社内で共有できるようにしたのだ。根回しの過程こそが,ノウハウの結晶であると判断して,このようなシステムを導入したという。

 松下精工も似たような仕組みを作っている。同社は,社長決裁になるような重要案件があると,稟議で決裁する前に二つの会議を開く。最初は電子会議で,3日間にわたって決裁者と発議者がネットで議論する。さらに定例会議の席で,実際に顔を合わせて再び話し合う。

 この2段構えの「根回し」を経たのち,電子稟議システムを使って稟議を回して最終的なチェックをする。これによって,何人もの決裁者が順送りで審査していたころよりも,意思決定の質が上がったという。

 こうした根回しのIT武装は,今後,ますます重要な役割を演じることになるだろう。いくらCRM(カスタマ・リレーションシップ・マネジメント)やERP(エンタープライズ・リソース・プランニング)といった業務直結のシステムを導入しても,そこからの情報をもとにした意思決定で失敗していては,宝の持ち腐れになってしまう。

 新規事業の立ち上げや新商品の開発といった意思決定が急増している現在,根回しのIT武装は企業競争力を向上させるといっても過言ではない。

(吉川 和宏=日経情報ストラテジー副編集長)