既存の放送も含め,すべてのメディアがインターネット化する・・・。インターネットが普及した今となっては,こうした時代認識はそれほど奇抜なものではないのかもしれない。しかし,放送機器を作り,放送の世界に大きな利害を持つソニーの首脳が断言するとなると話は別だ。

 日経ネットビジネス誌では,4月の大規模な組織改編でブロードバンド時代への対応を明確に打ち出したソニーを特集することになり,先日,ソニーの安藤国威社長兼COO(最高執行責任者)に担当記者と共にインタービューした。その際,ブロードバンド時代に放送はどう変わるのかを聞いた著者の質問に対して,安藤氏は「時代の流れはIPしかない」と言い切ったのだ。

 ブロードバンド時代は,いつでもどこでもネットがある“ユビキタス(遍在)ネットワーク”の時代である。家庭や車などのなかにあるすべての機器は,ネットを介して相互につながる。IPv6が普及すれば,そうした動きはさらに加速される。放送といえども,その流れから無縁ではあり得ない・・・。安藤社長の説明は単純明快だ。

 実際,放送業界では“オールIP”への道を歩む動きも出始めている。例えば,ソニーが出資するスカイパーフェクTV!は7月をメドに,ブロードバンド・ネットワーク,つまりIPを使って放送番組の配信を始める。またCATV事業者のなかでは,CATVインターネットの普及に伴い既存の放送のIP化も検討課題になりつつある。総務省も今年度から,放送波でのIP利用に関して研究開発を始める予定だ。

IPv6でパソコンの特権的地位は風前のともしび

 放送だけでなく,パソコンに対するソニーの認識もまた面白い。

 まずパソコン業界の現状に関して,安藤社長は「企業間の水平分業が行き過ぎた結果,どの製品もみな同じで特徴がなくなった。価格は下がったかもしれないが,ユーザーから選択の幅を奪ってしまった」と切り捨てる。さらに「IPv6が普及しアドレスが増えることで,家電製品などがパソコンを介することなく,相互に接続できるようになる」と話す。つまり,ネット接続でのパソコンの“特権的地位”も風前の灯火(ともしび)というわけだ。

 ソニーは4月の組織改編でパソコン事業を2分割している。デスクトップ・パソコンはテレビなどの部隊と,ノート・パソコンは携帯電話やPDA(携帯情報端末)などの部隊と統合したのだ。ホームとモバイルという二つの利用シーン別に,パソコンやテレビなど既存の製品カテゴリにこだわることなく,ネット対応を付加価値にしたユニークな製品を生み出していこうという戦略だ。

 確かに,既存の放送番組も含めあらゆるコンテンツがIPベースでやり取りされ,どんな機器でもネットに直接接続できる環境が整えば,既存の製品カテゴリは溶解する可能性がある。これまで放送はテレビ,通話は電話,インターネットはパソコンと,コンテンツと端末機器は1対1でくくりつけられていたが,今後はブロードバンド・ネットワークという共通インフラをベースに,消費者のニーズや生活シーンに対応した新たな製品カテゴリを切り出せるようになりそうだ。

 実は,筆者はIPv6について否定的な見解を持っていた。アドレス不足は何年も前から言われていたこと。これからも何とか切り抜けられるだろう。そもそもポットやトースタまでネットにつないで何が楽しいのか。それよりも不用意に家庭機器にまでアドレスを割り振るのは,セキュリティやプライバシ保護の面で心配だ。筆者の“IPv6観”は多少お粗末だが,そんなところだった。

 実際,様々な機器がネットに直接接続されれば,セキュリティ面でのリスクは高まる。冷蔵庫をハックされたら目も当てられないだろう。IPv6のアドレスで端末を特定できるわけだから,プライバシが侵害される不安も大きい。かつて米インテルがPentiumにID(識別番号)を組み込んだときには,パソコンが特定されプライバシ侵害につながるとして大騒ぎになった。なぜ,IPv6では大きな問題にならないのか,筆者には不思議である。

 だが今回,安藤社長をはじめソニーの幹部に取材して,IPv6観を多少修正した。ポットをネットにつなぐだけなら面白くも何ともないが,新しい製品を創造できる環境となるなら意味合いが違う。

 消費者はネットのコンテンツを入手するために,パソコンという没個性の機械を利用する必要はなくなる。また日本の家電・IT産業にとっても福音だ。製品開発の自由度が高まるだけでなく,インテルやマイクロソフトのような米国企業に製品の付加価値のほとんどを持っていかれる“辛い思い”をしなくて済む。

IPv6の普及で日米の一発逆転に余地

 安藤社長からは,IPv6に関してもう一つ面白い認識を聞いた。「米国はIPv6に案外熱心ではない」と言うのだ。「米国には家電メーカーがないため,パソコンさえネットにつながればそれでいい。そのためのアドレスは十分に持っているから,何もIPv6の普及を推進する必要はない」というわけだ。

 逆に言えば,IPv6の普及により日米の一発逆転の余地も生まれる。家電とIT産業が融合した“ネット端末産業”で,日本が米国を大きくリードできる可能性が出てくるのだ。昨年,ソニーの出井伸之会長兼CEO(最高経営責任者)がIT戦略会議の議長として,ブロードバンド・ネットワークの整備を政府に進言した真意も,この辺りにありそうだ。

 日本のメーカーがIPv6にどれほど熱心かは判然としない。しかし少なくとも,「放送も含めオールIP化は時代の流れ」と見切ったソニーは本気である。あまり売れていないようだが,そうしたコンセプトを先取りするものとして,テレビ番組とインターネットを好きな場所で同時に見られる「エアボード」という製品を既に発売している。

 明らかにソニーは,ブロードバンド時代の覇者の地位を目指して走り出している。このところ不景気な話ばかりなので,そうした野心を見せつけられると,かえって気持ちが良い。ハリウッド映画など膨大なコンテンツも持つだけに,ひょっとしたらマイクロソフトや米AOLタイムワーナーなどを圧倒する存在になるかもしれないという“期待”も抱かせる。

 ただし,だからと言ってIPv6への筆者の疑念は完全に解消されたわけではない。ブロードバンド時代なった途端,監視者や犯罪者がいつでも,どこでも存在するユビキタス状態になったらかなわない。ソニーをはじめ,ブロードバンドやIPv6を絶好のチャンスととらえる企業には,セキュリティやプライバシ保護のための技術を明確に示してもらいたい。そうなれば,筆者もIPv6の普及の推進を声を大にして叫んでもよい。

 さて日経ネットビジネス誌では,ソニーの特集を5月25日号でお届けする。製品戦略,ネット戦略,コンテンツ戦略を網羅する大型の特集になる。ソニーのブロードバンドへ取り組みに関心のある方は,ぜひ参照していただきたい。

(木村 岳史=日経ネットビジネス副編集長)