台湾の半導体産業の成長が著しい。日本のお家芸だった半導体産業が台湾に抜かれる日が近づいているという見方さえある。パソコンやその周辺機器の分野では,台湾が世界の生産拠点になって久しい。いまや,電気街の東京秋葉原で台湾製以外の製品を探すことは極めて難しい状況だ。それが半導体にも及ぼうとしている。

 今から10年あまり前のことを思い起こすと隔世の感がある。1985年から90年にかけて半導体の売上で,日本は米国を抜いて世界の王座に就いていた。米Dataquestの半導体売上ランキングでも日本メーカが上位を独占したこともあった。それが90年代に入り,日本のバブル崩壊とともに米国に抜かれ,その差は開く一方である。そして今度は,台湾にも抜かれようとしている。

 米国に抜かれたときは,これからはメモリではなくASIC(特定用途向けIC)だとの掛け声があがった。その声にのせられて,国内メーカは不得意ながらもASIC事業に力を入れ始めた。一方でメモリ事業に関しては,競争力を高める措置を十分に講じなかった。結局,日本の半導体ビジネスは中途半端な状態に陥った。

 世界最大の半導体メーカである米Intelは,パソコン向けマイクロプロセサに特化して現在の地位を築いた。韓国や米国のメモリ・メーカは低価格攻勢で生き残りを図った。韓国はメモリ,特にDRAM生産額で世界一となった。当時はまだ弱小だった台湾メーカは,ファウンドリと呼ばれる製造請負業に徹することでビジネスを軌道に乗せた。日本は,ASIC事業の初期段階でゲートアレイと呼ぶイージーオーダーの注文方式の半導体チップを推進した。ところが,ゲート単価が何銭という価格競争に明け暮れ,結局は利益を生み出すことができなかった。

 日本のじり貧は設備投資にも表れた。大きな市場を抱えるにもかかわらず思い切った額の投資に踏み切れなかった。それが1999年まで続いた。2000年をみても状況はさほど変わらない。台湾のTSMCが44億ドル(約4500億円)の設備投資を行うのに対して,半導体で世界第2位のNECでさえその半分にも及ばない(2000億円)。ちなみにTSMCはファウンドリ事業では世界一だが,半導体市場全体では三洋電機とロームのあいだに位置する世界23位のメーカにすぎない(米Dataquestの発表資料による)。

 これだけの思い切った投資を敢行し,急成長している台湾の強さとはなんだろうか。

 まず,台湾におけるビジネス・マインドが日本の企業とは全く違うことが挙げられる。例えば,A社がある製品をヒットさせたニュースを聞いたとする。日本ならば「それならわが社も同じ製品をもっと安く出そう」とか「もっと性能を上げたものを出そう」となってしまう。ところが台湾のメーカは,「それならわが社はその製品ではなく別の製品を開発しよう」という方向に動く。だから1社が安心して量産でき,その結果安く作れるわけだ。

 強さの秘密はこれだけではない。製品ジャンルが正面衝突しないので,企業同士やエンジニア同士での情報交換が行いやすい(実際,行われている)。しかも,台湾内の華人同士だけではなく,米国西海岸のシリコンバレーにいる華人同士とも情報交換ができ,最先端の情報を入手できる。日本企業がシリコンバレーで情報を収集するよりも,はるかに素早く情報を手に入れられる。このため,新製品の開発にいち早く着手できる。

 こういった台湾の分業体制が進んだのは行政のバックアップがあったから,とする見方が日本にはある。しかし,これは全くの誤解である。

 彼らの気質を考えて欲しい。彼らは御上(おかみ)の言うことに素直に耳を貸すだろうか。むしろ,日本人の方が日本株式会社の意識はずっと強い。中国人のなかには、「これまで4000年の歴史のなかで一度も国家を信じたことのない民族だ」といってはばからない人もいる。市場経済を完璧に理解している台湾のビジネスマインドを勉強して欲しい。日本の方が公的資金に頼る傾向はずっと強い。株で損したら弁償しろとか,マンションを値下げするなら保証しろとか,台湾では決してこんな要求は出てこない。

 インターネット対応への動きは日本ではどうか。iモードを始めとする携帯電話だけに頼っていないか。WebPADをはじめとするインターネット家電向けに戦略をシフトしただろうか。それに向けた半導体開発に着手をしたか。少量多品種でも利益の上がる製造プロセスを確立したか。再び政府の補助金を当てにして,自ら競争力を弱める政策を進めていないだろうか。

 台湾企業は行政を当てにせず,自らの人脈を信じ素早い情報収集で米国・日本・欧州と世界規模で競争を繰り広げている。競争力をつけるために,日本はもっと台湾の知恵を借りてはどうだろう。