Javaコミュニティと米Sun Microsystemsとの関係は,常に緊張をはらんだものだった。Java技術は結局誰のものなのか----この点をめぐって,微妙な綱引きが繰り返されてきたからだ。この6月に開催された世界最大のJava開発者会議「JavaOne2000」では,綱引きの最新の状況がやや見えてきた。どうやらSunは,Java技術をゆっくりとではあるが,開放しようとしているようなのだ。

 1995年に最初のJava技術が公開されたときには,Javaは確かにSunが1社で開発した技術だった。だが,その機能範囲はどんどん広がっている。今のJava技術は,携帯電話向けソフトエウア開発から,企業システム向けのサーバー側ミドルウエア,また電子商取引用Webアプリケーションの構築まで,実に多様な分野をカバーする。その仕様策定や実装では,多くの企業が協力している。だが,できあがったJava技術の知的財産権はSunが握っており,Sunとライセンス契約を結んで購入しなければならない・・・。

 このままでは,各社の不満が爆発してしまう。当然,Sun側も,こうしたアンバランスにはかねてから気づいており,Java技術の縛りを徐々に緩める姿勢を示している。

 1998年12月にSunは,Java技術のソース・コードを公開することを表明。そのためのライセンス形態であるSCSL(Sun Community Source License)を新たに作り上げた。SCSLの評価はまちまちだが(「タダでバグ取りさせるためのライセンス」と酷評する向きもある),少なくともJavaがオープン化を進める過程のなかでの前進には違いない。ここで同時に登場したのが,Javaの仕様策定プロセスを定めたJCP(Java Community Process)である。

 Java言語の設計者であるJames Gosling氏は1996年の第1回JavaOneで,Java技術の開発方針を述べている。標準化機関のようなスローな動きでもなく,インターネットでの無秩序なディベートでもなく,「エキスパートから成る少数精鋭のチームで,シンプルさを保ちながら作る」との内容で,初期のハッカーらしい意見といえる。JCPは,この考え方をルールとして定めたものといえるだろう。好意的に見れば,業界団体とも,オープンソース・コミュニティとも違う,新たなモデルを作ろうとしていたのだ。

 だがSunにとっては良いアイデアでも,他の企業にとっては必ずしも満足できるやり方ではなかった。せっかく開発に協力しても,知的財産権はSunが持っていってしまうからだ。

 その不満を解消するための,一種のオマジナイが「標準化」だった,という見方もできよう。Sunは1997年以来,最初はISO IEC/JTC1で,次にECMAで,Java技術を国際標準にするべく活動してきた。Java技術が晴れて国際標準となれば,ライセンスのことを気にせず,誰でもJava技術を利用できるようになるはずである。実際,標準化団体ECMAには,Javaの言語仕様だけでなく,Java2プラットフォームのAPIなどを含めた包括的な仕様を提出すると,Sunは言っていた。

 だが1999年12月,SunとECMAは決裂する。Sun側は,Java技術の著作権の所在がSunにあることの確認を求めたという。国際標準となる技術に,特定の企業の著作権表示が認められることは考えにくい。決裂を覚悟の上の要求だったといえる。この段階で,SunはJavaを国際標準にすることをあきらめたのである。

 国際標準をあきらめた上は,それに代わるものが必要だ。そこでSunは「JCPを改良して,産業界に受け入れられやすいものにしていく」ことを約束した。その成果が,2000年6月から施行が始まっている「JCP2.0」である。

 JCP2.0を定めるにあたり,Sunは産業界の有力各社を集めて議論したという。JCP2.0では,議決機関「Executive Committee」を設け,暫定的に22社がメンバーとなった。今後のJava技術の方向性を決めるのは,SunではなくExecutive Committeeとなる。

 ただ,知的財産権はいぜんSunのもの。この点については「検討中」であるという。それにしても,議論の場ができたことは前進といえる。いわば,議会が初めて開かれるようなもの。その観点からはJava技術の「民主化」が始まったのだ。別の言い方をすれば,今後のJava技術の責任は,Sunだけでなく産業界の各社が背負うことになる。

 もう一つ,Javaのオープン化に関するSunの態度を左右する要素として,米Microsoftの影響を見逃す訳にはいかない。Microsoftは1995年にJava技術をライセンスし,その後,同社独自の機能をふんだんに盛り込んだJava環境をリリースした。ここでMicrosoftがとった行動は,Sunをいたく神経質にさせた。

 Microsoftは同社独自のJava技術(Windowsの機能をフルに利用できるようにしたもので,当然Windows上でしか動かない)を普及させようとしていたのだが,これはJavaの互換性維持や,開発者コミュニティの育成とは相容れない考え方だったからだ。Sunが「100% Pure Java」認定制度を打ち出したのも,Javaのライセンシに対して厳しい互換性チェックを義務付けたのも,背後に「Microsoftの影」があったからだ。

 ただ,その後の「Sun対Microsoft裁判」および「司法省対Microsoft裁判」の過程で,Java技術の非互換性を招くような措置はルール違反と認定されている。裁判に悪影響を与えないためか,最近のMicrosoftはJavaに関しては沈黙している。SunにとってMicrosoftが脅威ではなくなったことも,Java技術の規制緩和のうえではプラス材料といえる。

 もちろん,知的財産権の所在をはじめ,問題のすべてが解決された訳ではない。今後も,面倒なことはたくさん起こるだろう。ただ,筆者が以上の成り行きをみていて思うことは,特定の企業の利益だけではない価値観をもって,Java技術に関して真剣に考え,積極的に行動している人たちがいる,ということだ。すべての技術には,それに関わる人間の「思い」が込められている。そしてJava技術が背負っている「思い」はとてつもなく大きい。そのことを改めて感じる。

 ここではJCPをめぐる動向を述べたが,JavaOne2000での他のトピックスは小冊子「JavaOneレポート」で取り上げる。くわしくは「日経Javaレビュー」( http://java.nikkeibp.co.jp/ )をご覧いただきたい。「思い」が詰まった冊子になる予定である。

(星 暁雄=日経Javaレビュー編集長)