新幹線のなかでおなじみのアナウンスを聞いていて,ふと思い当たったことがある。「他のお客様の迷惑になるので,携帯電話はデッキでご利用ください」というのがおなじみのアナウンスである。

 ふと思い当たったのは,最近めっきりと,新幹線の電話呼び出しの車内アナウンスが減ったことだ。以前は,「東京都の○○様,電話がかかっておりますので,××までおこしください」という声でたびたび眠りを妨げられていた。

 この電話呼び出しのアナウンスが減った。減った原因は,もちろん携帯電話の普及である。

 運転中の新幹線に電話をかけなくても,携帯電話にかければ簡単に相手に連絡がつく。情報の孤島だった列車が,緊密な情報ネットワークのなかに組み込まれたのだから,緊急の要件を抱えている人々には大助かりだろう。ついでに,大声の車内アナウンスで眠りを覚まさなくても済むようになった乗客も大助かりである。

 それでも時々,車内アナウンスで電話の呼び出しなどがあると,勝手な話だが「なぜ,携帯電話くらい持たないのだ,この他人迷惑な乗客め」と腹が立つ。これこそ,「他のお客様のご迷惑になるので,携帯電話をお持ちください,だ」とつい八つ当たりもしたくなる。

 それにしても,相変わらず携帯電話は悪者である。喫茶店やレストランでも携帯電話禁止が一般的だ。これは,ちょっと外に出れば済むので,そう大きな「情報の孤島」にはならずに済む。

 しかし問題は,最も厳しく携帯電話禁止を訴えている電車やバスのなかである。

 マナーモードにしていても,胸ポケットで電話が震動したときに,電車の窓から飛び降りるわけにはいかない。それで多くのビジネスパーソンたちは,口のところに手を当てるなど,周囲を気遣いながらぼそぼそと電話に向かって話を始める。

 聞くともなく聞いていると,こうしたケースでは,ぼそぼそと話しているこのビジネスパーソンが,相手より弱い立場であることが大半である。おおむね何か用件を言われ,恐縮しきって受け答えしているのは気の毒である。この人にとっては,電車のなかで携帯電話が使えないことが,「たいへんな迷惑」だろう。

 場合によっては,ビジネスを逃すかもしれない。「他の人の迷惑になるので,携帯電話を使うのを禁止しないで下さい」と叫びたくなるビジネスパーソンもいるかもしれない。

 迷惑は「お互い様」なのである。

 もちろん,「心臓ペースメーカーなどの医療機器に障害が起こる危険がある」という議論は知っているし,病院や満員電車で使わないといったマナーを守るのは当然である。

 「でも」と筆者は考える。「身体的弱者に危害を及ぼすのだから,議論の余地はあるまい」という問答無用の論理はいかがなものか。何らかの解決策はないのか。

 専門家によると,仮に携帯電話の電波が心臓のペースメーカーに影響を及ぼす場合でも,距離が23cm以内で電話が作動したときに起こり得るかどうかという問題だそうである。満員電車で,ちょうど胸ポケットに入れた電話と他のお客さんのペースメーカーが接近して,そこで電話の呼び出しが始まったときに危険が生じる。

 ところが空いている電車で,あるいはガラガラのバスのなかで,くだんのアナウンスがある。少々,理屈に合わない。さすがに,この事態を憂えた鉄道会社も現れたようだ。

 東京の京王電鉄は,一律の携帯電話禁止を転換し,心臓のペースメーカーなどを使用している乗客にはシルバーシートの付近に乗車してもらい,この一帯を携帯電話禁止にするという方法を導入した。この仕組みが成功するかどうかは分からない。しかし情報社会にあって,電車のなかだけを一方的に「情報断絶地帯」にすることの問題点に気づいたわけである。

 あるいは,携帯電話を使用しても構わない車両を用意しても良いかもしれない。

 いずれにしても,世の中にはいろいろの事情を抱えた人がいる。一律に禁止するという「情報統制社会」は,考え直した方が良いのではないか。

(中島 洋=日経BP社編集委員)