ドイツで生まれた省エネ住宅「パッシブハウス」。年間の冷暖房負荷やエネルギー消費量、気密性能において厳しい基準を満たす住宅だ。建築家の森みわ氏は、ドイツやアイルランドでの経験を生かし、日本に根差したパッシブハウスの普及に取り組む。
海外から帰国し、KEY ARCHITECTSとして独立後、すぐに手掛けた「鎌倉パッシブハウス」(2009年)は、ドイツ・パッシブハウス研究所の認定を受けた国内初の住宅となり、第14回国際パッシブハウスカンファレンスのデザインコンペで世界第二位を受賞した。以来、森みわ氏は、次々と省エネ住宅の設計、コンサルティングをこなしている。その一方で、パッシブハウス・ジャパンを立ち上げ、パッシブハウスの普及活動も行う。
2011年以降を振り返り、「日本各地の気候風土に合わせた省エネ性能のバランスを模索した1年だった」と森氏。南は福岡、「福岡パッシブハウス」(11年)の設計から、北は札幌、木造住宅の省エネ改修のコンサルティングまで、日本全国の様々なプロジェクトに携わった。日本の伝統的な構法を生かしたパッシブハウスのあり方も模索。「欧州の仕様をそのまま持ち込むのではなく、徹底的に日本化していきたい」と話す。
日本化した一例が「十津川村モデルハウス」。奈良県十津川村の林業への取り組みをPRするため、十津川村のスギを活用した省エネ住宅のモデルハウスだ。断熱材に木の繊維を用い、十津川村のスギを使った高性能木製サッシもつくった。
土壁の下地には竹小舞を編み、真壁でも気密性能が確保できるよう、気密シートを用いずに断熱壁をつくる。解析も行って、日本独自のパッシブハウスを実現させている。「これは日本が世界に向けて情報発信できるプロジェクト」と森氏。中国や韓国から視察に来るなど、日本より海外から注目されている。
震災を受けて急きょ仮設木造建築を提案
こうした取り組みの一方で、「震災後に自分の中の優先順位がガラッと変わった」と話す。3.11直後、森氏はいち早く行動し、東北芸術工科大学との共同企画で、宮崎県のスギを使った環境配慮型の簡易間仕切りシステム「ニコニコフレーム」(2500×2500×5000mmのユニット)を提案した。日本のスギを使った仮設建築をつくり、被災地を元気にしようというプロジェクトだ。
2011年4月9日には東京で試験組み立てを行い、被災地への寄付を始めた。しかし、その矢先にジレンマを感じるようになった。現地との“お見合い”がなかなか成立しない。被災地の支援者との間で調整がつかず、現地に声が届かない状態が続いたのである。
ようやく声が届いたのは2011年の秋。宮城県女川町の商店街復興として、ニコニコフレームのような考えを基に商店街を建ててほしいという依頼を受けた。パッシブハウス・ジャパンの協力の下、きちんと断熱された木製店舗をつくるという条件で、女川町が海外の団体から寄付を取り付けたのだ。
特別なつくり方はせず、地元の大工が施工できる工法を採用するなど、コストを徹底的に下げる工夫をした。そのような中でも高い省エネ性能を実現している。「店舗に来る被災地の方々に、快適性や温熱環境の価値を感じていただければ先につながると思う。被災地の復興支援はこれから長く続いていくので、そこに建築家として何らかの形で関わっていきたい」と森氏は話す。