どうしようもない塩漬けシステム

バブル期にSEを救ったITツール、塩漬けシステムの温床に

2017/12/07 中野 恭秀=アクセンチュア

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 「COBOLプログラム1万本、1000万ステップのバッチ処理をオープン環境へ移行したいのだが、実現できるか」。筆者の元には、メインフレーム上のプログラムを移行する相談がよく持ちかけられる。しかし、プログラムの本数はそれほど問題にならない。ネックになるのは独自技術で作られたアプリケーションだ。

 ある大手製造業の例を紹介しよう。移行の対象となったのは、約30年前に構築され、現在まで利用され続けた基幹系システムだった。現在まで使い続けているといっても、現存するプログラムは初期の規模から比べるとごくわずか。1990年代から始まったオープン化の流れに伴って、プログラムは徐々にオープン系サーバーに構築したERP(統合基幹業務システム)などに切り出されていったからだ。

 結果として、残っているプログラムは処理の規模に比べると大げさな開発実行環境上で稼働していた。大きな開発実行環境の割に小さなプログラム。どうしようもない塩漬けシステムはこんな状態だった。

 開発実行環境は、構築を依頼したSIer独自の技術で作られており、その部分のソースコードが見つからなかった。開発実行環境の部分まで解析しようとするとコストがかかる。「これっぽっちのプログラムを移行するためにその金額は出せない」。責任者はこう判断し、移行プロジェクトを断念した。

技術者不足をCASEツールが補った

 大手製造業の事例は決して特殊な例ではない。1980年代後半から1990年代前半にかけてのバブル景気の時代に構築されたメインフレーム上のプログラムによく見られる傾向だ。塩漬けになる原因を作っていた開発実行環境とは、CASE(Computer Aided Software Engineering)ツールのことである。CASEツールは生産性と品質向上、保守負荷軽減を目的とした開発実行環境であり、データの構造・内容・規約を登録したデータ辞書や業務設計情報からプログラムを自動生成する機能を持つ。

 当時、CASEツールが導入された背景には、どの企業もシステム開発案件を非常に多く抱えていた事情がある。IT業界は慢性的なエンジニア不足に陥っていた。当時、筆者が在籍していたコンピュータメーカーでも、異業種から転職してくる者が多かった。その中には配属のあいさつで「昨日までお寿司を握っていました」「前職では電車を運転していました」といったことを話すメンバーも珍しくなかった。

 そのころ主流の言語だったCOBOLは、平易な英文で記述できるので、コンピュータの専門家ではない業務担当者や異業種からの転職者でも習得しやすかった。アプリケーションに重大なバグがあってもOSやミドルウェアの領域を破壊することがないので、システム全体を動作不能にすることがない点で安全な言語だった。

 こうしてITベンダーはCOBOLプログラマーを急増させたが、多くの企業の開発要望を処理しきれなかった。案件を多く抱えるユーザー企業が選択したのは、CASEツールの利用だった。1980年代は大手企業がこぞって自社の電算部を情報システム部に名称変更したり、ソフトウエア開発部隊を子会社化したりした時代でもある。独自のCASEツールは外販を強めるための切り札として、独自機能をどんどん盛り込むユーザー企業もあった。

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出典:ITpro 2017年 10月 26日
(記事は執筆時の情報に基づいており、現在では異なる場合があります)

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