メールはコミュニケーションの道具です。使い方を間違えると、コミュニケーションが悪化するだけでなく凶器にすらなりえます。今回は、集大成の第二弾として不快感について掘り下げて解説。メールのコミュニケーションが変われば、日本が変わる。平野所長と直井研究員の思いとは?
直井研究員(以下、直井):所長~やりました!
平野所長(以下、平野):このコラムが今回をいれてあと3回で終了だ。それなのに、やけに嬉しそうだね。
直井:実は、たくさんのメッセージをいただいたんです。
平野:ほう。どんなのが来たんだい?
直井:「直井研究員の勇姿が⾒られなくなるのが寂しいです」「直井所⻑の登場を楽しみにしていたのに……残念です」など、いろいろといただきました。
平野:よかったね。こうして、読者のみなさんに⽀えられていたことを実感するよ。
直井:あと3回。どんな話をするのか迷いますね。
平野:前回は、私が「伝える」と「伝わる」の違いを解説した。今回は、直井さんがテーマを決めていいよ。今、みなさんに一番訴えたいことってなんだろう。
直井:そうですねぇ。不快感についてでしょうか。
平野:不快感。これは定番だよね。
直井:不快感というか「メールの良し悪しは相手が決める」という話をしたいです。このことを、みんなが分かっていたら、メールのコミュニケーションがもっとよくなると思うんです。
平野:メールのコミュニケーションがよくなれば、対面のコミュニケーションも変わるはずだ。それによって、社内の風通しがよくなり、隠し事がなくなり、みんなで助け合える。そんな世の中になるかもしれないね。
直井:相手のことを思いやってメールを書く。そういった寄り添ったコミュニケーションが増えたら、世の中はもっとよくなるのではないでしょうか。
平野:コミュニケーションが変われば、世の中が変わり、日本が変わるね。
直井:はい!そのために、今日はしっかり伝えたいと思います。