ISDNは、NTT(当時は日本電信電話公社)が1970年代に示した「電話やデータ、画像などすべての情報通信サービスをデジタル網で一元的に提供する」という構想を実現するために作られた。今では音声とデータを同じネットワークでやり取りするのは当たり前なので、ピンとこないかもしれない。

 なぜISDNが画期的だったのか。当時の通信事情や開発の意義、ブレークスルーとなった技術について説明する。

電話網とデータ通信網を統合

 ISDNの構想が示された当時は、通信手段といえば電話が主体だった。電話はほぼ全世帯に普及し、電話会社は新しいサービスの開拓に力を入れていた。

 1980年ごろになると、ビジネス用途を中心に利用されていた高速データ通信向けの網(バックボーン)の整備が進み、電話はアナログの電話網、データ通信はデジタルのデータ通信網をそれぞれ使うようになった(図1)。それまでも電話網を使ったデータ通信は可能だったが、モデムで音声帯域の信号に変換する必要があり低速だった。当時の技術では伝送速度が2.4k~48kビット/秒と低く、高速化が求められていた。

図1●電話網とデータ通信網を統合した通信基盤
図1●電話網とデータ通信網を統合した通信基盤
1980年ごろの通信ネットワークは電話網とデータ通信網が別々に構築されていた。ISDNではこれらを統合し、デジタル化した通信基盤を構築した。
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 さらに新サービスとして、静止画像を配信するビデオテックス(日本名ではCAPTAIN)や、動画のテレビ電話、テレビ会議などの開発も進められていた。これらの新サービスをそれぞれ別々のネットワークで提供するのでは効率が悪い。そこで、一つのデジタル網で総合的に扱えるようにしようと、ISDNの構想が登場したのである

▼デジタル網
ISDNをデジタル網で構築したのは、デジタル網ではあらゆる情報を1と0で表して送るため、効率が良いからである。
▼登場したのである
ISDNの理念は、電話網とデータ通信網を統合したデジタル網を実現することだったが、現実にはISDNができても、NTTはデジタルデータ交換網DDX(回線交換網のDDX-Cとパケット交換網DDX-P)を存続させていた。当時のISDN網はパケット交換機能を持っていなかったので、ISDNのアクセス回線からDDX-Pへつないでパケット交換サービス(INS-P)を提供していた。

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