今回はいつもとは違う特別編として、「ThinkPad」の開発に最初から関わっていたレノボ・ジャパン副社長である内藤在正氏に、ビジネス現場でも広く使われているThinkPadが生まれるまでの話を聞きました。
先に事実関係だけを整理しておきましょう。最初のThinkPadは「ThinkPad 700C」という機種で、1992年に発表されています。IBMの最初のパソコンであるIBM PCは1981年で、それからThinkPadに至る約10年間をまとめたのが、この年表です。
銀行向け端末の仕事から
最初に内藤副社長の経歴について教えてください。入社当初の仕事は何ですか?
内藤氏 私は1974年にIBMに入社して、最初は銀行端末関連の仕事をしました。当時は銀行ごとにいろいろと条件があり、米国のものをそのまま持ってくることができなかったので、日本の銀行向けの端末を作っていました。
当時は、IBMというとメインフレームの企業で、そのメインフレームを使うために多数の端末装置を接続して使っていたのですよね。
内藤氏 入社当時、コンピュータを使うというと、紙カードにパンチしたプログラムを作ってメインフレームに読み込み、ラインプリンターに結果を出力し、それをあとから受け取るという感じでした。なのでLSIの設計なども、主要な計算はメインフレームにプログラムを実行させ、結果をオフコンなどに読み込んでインタラクティブに使う、という手順でした。ただ、それもすぐにCRTディスプレイを備えた端末で直接操作するようになっていきました。
その過程で、端末に漢字を表示することになりました。最初は、アルファベットと数字だけ、次にカタカナ(半角片仮名)を表示しましたが、文字コードのスペースが足りなくて、カタカナを出すとアルファベットは大文字だけになるという制限があったのです。そこに漢字を表示させることは、大がかりな開発でした。
実際に漢字の表示を行うのは3270*1などと呼ばれる「制御装置」です。8個ぐらいのポートがあって、ディスプレイ装置やプリンターを接続します。漢字のイメージは、フォントカード(いわゆるCG、Character Generator)としてディスプレイ側にあります。このため2バイトの漢字コードをポート経由でディスプレイ装置やプリンターに送れば、漢字が表示されます。
フォントはROMで3000文字ぐらいしかありません。あとはRAMにフォントイメージを書き込んでおくと、さまざまな漢字や文字を表示させることができました。