日経コンピュータ編集長の大和田 尚孝
日経コンピュータ編集長の大和田 尚孝

 12年前のきょう、日本を揺るがすと言っても過言ではない大規模システムトラブルが発生した。みずほ証券による株誤発注事件である。東京証券取引所(現・日本取引所グループ)の株式売買システムのバグが原因で注文を取り消せずに400億円超の損失が発生。トラブルの責任を取り当時の東証社長が引責辞任する事態に発展した。

 東証「消滅」の危機から日本の金融市場と産業界を救ったのは、この10月に81歳で死去し、晩年は様々なメディアで「老害」と指摘された人物だった。東芝元社長で日本郵政の社長などを歴任した故・西室泰三氏である。

 2005年12月8日、東証は経営危機に直面していた。発端はみずほ証券が同日朝に出した誤発注だった。この日東証マザーズに新規上場したジェイコム(現ライク)株について、みずほ証券の担当者が「1株を61万円で売り」と注文するところを誤って「1円で61万株を売り」と発注。安い価格で次々と売買が成立してしまった。誤りに気付いたみずほ証券の担当者が取り消し注文を出したが、東証の売買システムが受け付けず、結果的にみずほ証券は400億円超の損失を出した。

 東証は当初、取り消しできなかった原因はみずほ証券の操作ミスにあるとみていたが、3日後に撤回。東証の株式売買システムの不具合が原因だったと発表した。きわめて特殊な条件の時に限り、注文を取り消せないバグが潜んでいた。

 東証はこの約1カ月前にもシステム障害によって全銘柄の売買停止という過去最大級のトラブルを引き起こしていた。相次ぐ問題の責任を取って当時の鶴島琢夫社長が辞任した。その時IT部門に所属していた日本取引所グループの横山隆介常務執行役CIO(最高情報責任者)は「会社がなくなると本気で思い詰めた」と当時を振り返る。

 金融市場だけでなく日本の産業界全体の信頼を失った東証を立て直す使命を担ったのは西室氏だった。トラブル当時、西室氏は東証の会長を務めていたため、急きょ社長を兼務することになった。

 西室氏は「日本を代表する証券取引所の信頼を取り戻す。日本の金融業界はもちろん、産業界全体のためにも東証を抜本的に見直す」と決意を語り、着任早々、情報化推進体制の改革に臨んだ。「立て直しにはITに強い経営マネジメントチームが不可欠」と考え、システム開発大手のNTTデータから大規模システムの開発経験が豊富な鈴木義伯氏をCIOに招き入れ、筆頭の執行役員に据えた。今でこそIT活用やデジタル化に注力する目的でCIOを置く企業は珍しくないが、12年前はまだそれほど多くはなかった。筆頭役員となると、なおさらである。

 東証は西室氏と鈴木氏の下でトラブルの原因となった株式売買システムの全面刷新に挑んだ。西室氏は経営トップとして予算の確保や監督官庁とのやり取り、システムのつなぎ先である証券会社のトップとの折衝などに奔走した。一方でシステム開発については鈴木氏に全面的に任せた。自ら招き入れた鈴木氏に全幅の信頼を寄せていた。「口を挟まれたことは一切なく、大丈夫かと聞かれたこともほとんどなかった」と鈴木氏は証言する。

 新たな株式売買システムは2010年1月に無事稼働した。動作を見届けた半年後の6月に西室氏は東証を去った。稼働直後にインタビューした際は「世界の取引所の競争の中で東証が埋没してしまうのではと、恐怖心が常にあった」と胸の内を明かしつつ、「ITに強い経営マネジメントチームができた。東証の社員が自信を取り戻したことが何よりもうれしい」と笑顔を見せていた。