日経FinTech編集長の原 隆
日経FinTech編集長の原 隆

 「坂の上に雲があるかもしれないし、ないかもしれない。それでもそこに何かがあるのなら、自分はつかみにいきたい」

 “野に下る”選択をした男はこう語った。

 金融庁の総務企画局企画課で信用制度参事官室企画官を務めた神田潤一氏。2015年8月に日本銀行から出向し、国内FinTech産業の振興に身を投じた。金融庁長官の森信親氏が金融機関への変革を迫れば、現場では神田氏がスタートアップ業界と金融業界の融和を説いた。

 その持ち前のフットワークの軽さは、金融庁のイメージを大きく変えた。スタートアップ企業が集まる会合には、必ずといっていいほど神田氏の姿があった。時に趣味のオペラを歌い、時にどこからともなく出てくるハーモニカを吹いた。ある起業家は「神田さんと出会って、従来の『怖い』『堅い』『冷たい』金融庁のイメージが変わった」と語った。

FinTech産業振興のためスタートアップ企業との交流を深めた元金融庁総務企画局企画課信用制度参事官室企画官の神田潤一氏。得意のオペラを披露してよく場を盛り上げた
FinTech産業振興のためスタートアップ企業との交流を深めた元金融庁総務企画局企画課信用制度参事官室企画官の神田潤一氏。得意のオペラを披露してよく場を盛り上げた

 神田氏が金融庁に出向していた2年間弱、残した功績は大きい。金融庁と日本経済新聞社の共催イベント「FinSum」を立ち上げ、英国の金融行為規制機構(FCA)との間ではFinTech企業を支援する協力枠組みに関する提携を進めた。国際的な枠組みでのブロックチェーン共同研究体制も整えている。

 こうした人脈を生かした行動力は昔から垣間見られたと語るのは、日本銀行で初代FinTechセンター長を務め、現在、京都大学で教授を務める岩下直行氏だ。「日本銀行のイントラネットで『総裁への手紙プロジェクト』を仲間と共に立ち上げ、日銀中を沸かせていた」と述懐する。

 入行24年目にして日本銀行に別れを告げる選択。背景にどのような心の変遷があったかは知るよしもない。しかし、司馬遼太郎の『坂の上の雲』を例に挙げて語った言葉の節々から推察するに、世の中の変革を感じ取り、そこに身を投じたいという思いが募り、坂を上る覚悟を決めたということなのだろう。

 2017年9月1日、神田氏はマネーフォワードへ移籍した。

描いていた夢、調整に追われる現実

 19年前、海外と比べてあまりに異なる日本の住環境を目の当たりにし、日本の未来を変えていきたいと国土庁の門を叩いて官僚の道を選んだ男は現在、メルカリにいる。

 メルカリでリーガルグループマネージャーを務める城譲氏だ。2010年、国土交通省や内閣府など、12年間の官僚生活に別れを告げた。当時胸に抱いた「世の中を変えたい」という思いは、今も同じだ。だが、官僚時代と比べて今感じるのは「スピード感の違い」と語る。

 入庁当時の仕事の仕事はただ、ひたすらにコピーを取り、中身を要約して各部署に説明して回ることだった。パソコンが使えない上司の手書きの文書を打ち直したり、口述筆記したりする日々だったという。次第に予算請求時に自分の意見を反映できるようになっていったが、それ以外のほとんどの時間は国会対応や省内の調整に追われた。「クリエーティブな仕事に使える時間はほとんどなかった」と城氏は振り返る。

 役所で言われる「優秀」とは、主に調整能力が高いことを指すことが多い。役所内の予算を取りまとめたり、人事を回したりする官房に集められ、優秀な人ほど国会との関係性が強いポストに就く。言い換えれば、優秀な人ほど雑用が増える。

 役所特有の人事ローテーションもある。癒着を防ぐなどの理由で、おおよそ2年で担当が変わっていく。仕事がつかめてこれから、というときに異動を迎える。「国会対応などの雑用に追われていつの間にか1日が終わる。今日の1日はなんだったんだろうと振り返る日々が続いた」と城氏は当時を振り返る。