米ツイッターが不調である。先に発表された第3四半期の決算で、売上高こそ6.2億ドルと前年同期比で8%増加したものの、損失は1億ドル強と、3年連続の赤字状態から抜け出せていない。累積赤字も23.8億ドルと、一向に解消のメドが立たない。

 かつて競合と目された米フェイスブックは売上高が70.1億ドルと前年同期比で56%増。主な収益手段である広告収入も、同社は68億ドル強、ツイッターは5.5億ドルと、その差は歴然としている。

 モメンタム(業績を含めた企業全体の勢い)も悪い。利用者数の増加も頭打ちで、全従業員の9%をリストラする計画や、動画共有サービス「Vine」の終了も予定されている。状況の打開を目指した身売りも不調に終わった。

 特にツイッターの身売り交渉が実際に持たれたことで、むしろ「いま世の中でTwitterがどう見られているのか」が明確化されてしまった。厳しい言い方だが、ヘイトスピーチやいじめなどの罵詈雑言が並ぶ修羅の世界で、新規ユーザーは当然敬遠する場所──。先日ようやく対策を発表したようだが、遅きに失した感は否めない。

「サイバーカスケード」状態を助長

 それにしても、こうした「悪評」は、以前はSNS全般に指摘されていたはず。その実態はさておき、いまやTwitterばかりが暗黒世界の代名詞のようになっている。

 これはツイッターによる経営の失敗なのだろうか。確かに、そういう面もあるかもしれない。ただ、現在のTwitterで起こっていることは、そのアーキテクチャーの制約ゆえに、あらかじめ決められていた根源的問題の表出のようにも思える。

 例えばTwitterを公開アカウントで使ってみる。すると世界中のあらゆるユーザーからそのアカウントに話しかけられることになる。それ自体は素晴らしいことだし、そうした前向きな可能性に満ちた時代もかつてはあった。

 しかし世界中の人がアカウントを獲得した現在、ちょっとした不満の矛先が、ある特定のアカウントへ向かうことになる。不満を投げかける側は、何気ない「つぶやき」だろう。しかしそれを受ける側は、数万、数十万の暴言を一手に引き受ける「サイバーカスケード」状態となる。個人と団体のいかんを問わず、そうした状況に耐えられる主体は少ないはずだ。

 そうした問題は電子掲示板の時代からあった。しかし、例えば「2ちゃんねる」の場合、発言数が上限に達したらスレッドが変わる。これにより見かけ上は、一度「ご破算」になる仕組みがあった。

 これがサイバーカスケードを一時的なものに収束させる役割を果たしていたのは、逆にそうした仕組みのない電子掲示板の多くが廃れていったことからもうかがえる。そしてTwitterも、このような廃れていった電子掲示板と同じように見えるのだ。