9月になれば、米アップルの新しいiPhoneが発表される。本稿執筆時点の8月中旬時点でまだ正式なアナウンスはないが、概ね間違いないだろう。

 今回の新iPhoneの注目は、FeliCaチップ搭載の有無と言われている。仮に搭載されたとして、FeliCaを使ったサービスが本当に使えるかどうかは、発売後に鉄道の改札機の通過テストなど、フィールドでの検証を待つ必要がある。しかしうまくいけば、日本のiPhoneユーザにとって念願のアップデートとなる。

 また、計算機としての処理能力の向上も期待されている。ポケモンGOをはじめ、昨今では高い処理能力を求めるアプリが増えている。セキュリティ対策などの要件にも相応の計算機資源が求められる以上、より新しい端末が求められるのは自明だろう。

 にもかかわらず、新しいiPhoneについての話題を耳にすることが少なった。筆者は通信業界を手伝う仕事ゆえ、一般の方に比べて、こうした話に触れる機会は多いはずなのだが、それこそポケモンGOのほうが耳目を集めているように思える。

 そしてこれは、今に始まったことでもない。昨年同月号(日経コミュニケーション 2015年9月号)の本連載でも、同じように新しいiPhoneを取り上げ、同じように「話題になっていないこと」に言及した。恐らく2年ほど前から、こうした傾向が顕在化しているように思える。いわば「スマホのコモディティー化」が進んだということだろう。

スマホを使っている感覚が希薄化

 人口の半数を超える人たちが、スマホを介してネットサービスを日常的に利用し、それらが生活の中に溶け込んでいる。もはやサイバー空間という言葉も陳腐に聞こえるほど、身体や物質などの物理的な実態と情報の間にあった境目は、曖昧になりつつある。

 こうなると、「スマホを使っている」という感覚も、既に希薄化しているはずだ。例えば、日常の所作としてあまりに自然であるために、「洋服を着る、食事を取る、部屋で過ごす」といった行為に、多くの人はほとんど無意識である。それと同じことが、スマホで起きている可能性がある。

 そして、こうした変化を受けて、筆者は一つの仮説を得つつある。それは「スマホの土管化」だ。