AI(人工知能)によって大変革の時代がもたらされる──。ICTの仕事をしていると、こんなフレーズを発した瞬間に「オオカミ少年」扱いされてしまうのは百も承知だ。しかしこのところ、そう言いたくなる気分が強くなっている。

 2月に総務省情報通信政策研究所コンサルティングフェローを拝命した。目下の最大の研究対象はAIだ。同研究所は以前からシンギュラリティー(技術的特異点)の分析を進めており、昨夏には報告書も公表した。その後の検討を手伝った経緯もあり、年明けから総務省で開催されている「ICTインテリジェント化影響評価検討会議」の構成員として討議に参加している。

 この検討会がとにかく面白い。同研究所が標榜する「インテリジェントICT」、すなわちAIが情報通信ネットワークにより高度に普及・定着した未来像について、工学、法学、経済学、社会学、さらには哲学に至るまで、国内の幅広い若手エキスパートによる侃々諤々の議論を重ねている。

 検討会の中で最新動向に触れると、「これはとんでもないことが起きている」と思わざるを得ない。それこそ、ビジネスパーソンとしてだけでなく、子育て中の親という一人の生活者・人として、その重大さを感じている。

人が検証できない領域に

 例えばAIを考えてみても、現在の深層学習によってもたらされる解析の「過程」は、もはや開発者であっても理解が困難になり始めている。従来のように「ログを基にした検証」を試みても、そのログがAIの振る舞いを正しく記述できているか、既に怪しい。

 一方で解析の「結果」は、間違いどころか、むしろ人よりも正確だったりする。先日、囲碁でAIが人を打ち負かすということが大きく報じられたが、確率論とパターン認識で収束するボードゲームのような領域であれば、もはや人が勝つと考えること自体が無理筋なのかもしれない。