東日本大震災から5年が経過しようとしている。毎年この時期になると、本稿で震災や復興のことに触れているが、今年は改めて悩んでしまった。

 諸般の事情で、震災直後から被災地に入る機会を得たこともあり、筆者自身の被災地への思いは強いほうだ。だからこそ復興支援を続けているが、最近では「手伝う」の前に「まだ」という言葉が付いてしまうほど、復興に関わる人は減りつつある。

 それに呼応するように、被災地への視線も厳しさを増している。それこそ「これほどお金を使ったのにまだ復興できていないのか」という声を聞くこともある。実際は、このような声はまだよいほうだ。たまに被災地を表面的に見渡しただけで「復興はかなり進んでいますね」という評価が下されることもある。

 言うまでもなく、復興の進捗は地域によって大きな差がある。進んでいるところもあれば、遅々として進まないところもある。

 それは東日本大震災で被災した範囲が、あまりに広いからだ。政府が復旧・復興の対象を「被災三県」と集約したことの影響かもしれない。実際には南は千葉から北は北海道まで、南北1000キロメートル余りの沿岸部を中心に被害が生じた。復興予算の比較として、阪神・淡路大震災がしばしば引き合いに出されるが、それだけ広域で甚大な被害が生じたことの裏返しでもある。

「被災地」というくくりが乱暴だった

 被災地の厳しい状況は、震災だけが影響しているのではない。例えば被災地の人口転出のトレンドに目を向けると、震災直後こそ特異な状況だったにせよ、実際は震災前とさほど変わっていない。状況が厳しいのは被災したからだけではなく、日本中の多くの地方部の状況と同じ。つまり日本の地方部すべてが厳しいのである。

 だとしたら「被災地も、自らの足で立ち上がるための努力をすべき」という意見が出るのも自然なことだ。さらに言えば「被災地」という言葉自体も、今となっては適切ではないのかもしれない。

 なにしろ被害地域が広かったということは、「被災地」というくくり方自体が乱暴だったことでもある。実際、三陸に限っても、南北で文化は微妙に異なる。さらに隣接した福島県と宮城県でも異なる。