2014年2月の大手取引所「Mt.Gox(マウントゴックス)」の破綻で期せずして日本で注目を集めた「ビットコイン(Bitcoin)」。暗号通貨あるいは仮想通貨とも呼ばれるビットコインはこの事件で知名度を一気に上げた一方で、負のイメージを帯びることとなった(関連記事:ビットコイン事件 ~ネット仮想通貨の未来を探る~)。

 テレビや紙面を賑わせることは一時と比べれば格段に減った。だが、ビットコインは消えない。根を這わせるかのごとく、様々な市場に広がり、また新たな産業を少しずつ生み出している。

 2014年8月には楽天が米国のグループ会社でビットコインの取り扱いを開始。日本では10月に、ビットコイン業界団体「JADA」が本格的な活動を始め、11月には取引所大手のKraken(クラケン)が日本市場に進出した。コインパス(東京都新宿区)をはじめ、決済サービスを手がけるスタートアップ企業も出始めた。ビットコインの仕組みに着目し、その応用策を考える動きも世界中で広がりつつある。

 発行主体を持たないビットコインに手を焼く各国政府の対応も様々だ。ロシアやインドネシアのようにビットコインを禁止する国もあれば、日本のように通貨でもモノでもない「価値記録」(価値を持つ電磁的記録の意味)という新たな定義を与えようとする国もある。

 賛否両論を巻き起こしながらも、ここまでの存在感を示すビットコインには、何かしらこれまでにない魅惑の力があるのは確かだろう。そして、その背景はこれまで幾多の歴史を経てきた通貨ならではの必然があると筆者は見ている。

語り継がれる小さな町の大きな奇跡

 今から遡ること85年前の1929年10月24日、米国のニューヨーク証券取引所で株価が大暴落し、その余波が世界各国に広がり大不況を引き起こした。世に言う、世界恐慌だ。この時、オーストリアの小さな町が取り組んだ不況対策が未だに語り継がれていることをご存知だろうか。ヴェルグルと呼ばれたその町は現在、人口1万3000人の市になっており、オーストリアのチロル州クーフシュタイン郡に属している。

 オーストリアは1931年5月、大銀行だったクレジットアンシュタルト銀行が破綻し、これが原因で世界恐慌に飲み込まれたと言われるほど世界不況の中心にあった。ヴェルグルも例外なく不況の煽りを受け、高い失業率に悩まされていた。

 当時、町長だったミヒャエル・ウンターグッゲンベルガー氏は1932年7月、事態の解決に向けある「通貨」を発行することにした。正確には労働証明書だが、失業者対策で緊急実施した公共事業の賃金として支払われたこの通貨は、税金の支払いや物品購入に使えた。

 だが、この通貨はある特異な特徴を持っていた。