環境知能(ambient intelligence)という言葉を聞いたのは、今から9年前の2006年。NTTコミュニケーション科学基礎研究所が主催した「環境知能シンポジウム」でのことだ。イベントの様子については、日経コンピュータの八木玲子記者(当時は日経パソコンに所属)の記事をご覧いただきたい。

 一般に知能と呼ぶとき、「コンピュータはあなた/私/他の誰かの知能を凌駕するか」といった具合に、各個人が持つ知能をイメージする場合が多い。ITが指数関数的に進化を遂げ続けた結果、2045年ごろにシンギュラリティ(技術的特異点)を超え、人間の能力を上回るようになるとする「2045年問題」も、多くは人間が持つ知能と対比して語られる。「どの職業が10年後にコンピュータに取って代わられるか」のような議論も同じである。

個人を取り巻く「環境」が知能を持つ

 環境知能とはこうした人間が持つ知能ではなく、人間を取り巻く「環境」が持つ知能を指す。環境に埋め込まれた知能と呼んでもよい。

 NTTコミュニケーション科学基礎研究所が2006年当時進めていた「まっしゅるーむ」と呼ぶプロジェクトでは、環境知能の存在を妖精に例えていた(詳しくはこちら)。「普段は姿を人間に見せず、そっと見守る。いざというときに姿を現し、人間を助けてあげる」がコンセプトだ。環境知能は、いつが“いざというとき”なのか、そのときにどうすれば人間を助けられるのか、を判断する。

 これは環境知能の持つプラス面に焦点を当てた研究例である。一方で、マイナスの側面もある。「各個人が気づかないように管理・監視する環境となり得る」というものだ。管理・監視するのは国に近い組織または国家そのものかもしれないし、一企業、一個人かもしれない。

 環境知能シンポジウムにパネリストとして参加していた、哲学者・批評家の東浩紀氏はフランスの哲学者ジル・ドゥルーズの考え方を基に、目に見えない管理・監視の在り方を「環境管理」という言葉で表現していた。