「私達は売り買いされる。一人ひとりに値段が付いている」。

 1970年代の末期にこういう意味の歌詞を絶叫していたロックバンドがあった。その通りである。仕事をしている人は成果を評価され、それに応じて支払いを受ける。顧客から対価として直接支払いを受ける場合もあれば、所属している組織から給与として支払われる場合もある。

 そのロックバンドは同じ曲の中で「資本主義は最も野蛮な宗教」と唸っていた。確かに値段を付けられることを拒否したくなる時もある。だが、お金を貰わないと生きていけない。どうせ売られるなら、なるべく高い値段を付けてほしいと思う時もある。自分自身を“値上げ”するにはどうすればよいだろうか。

 自分に投資をして自身の価値を高めるしかない。売り惜しんで値段をつり上げる手もあるが、誰も買ってくれない危険があるから得策ではない。

 この場合の投資とは教育である。自腹で自分に投資する場合もあれば、所属している組織が投資してくれる場合もある。企業にとって教育は投資対効果が高い案件である。社員の力が増し、高く売れるようになれば企業は儲かる。教育投資は費用だから黒字企業であれば節税になる。

 自分を売り買いされることを不快に思う人であっても自分への教育投資はする。担当している仕事をもっとうまくやりたい。別の技能を身に付けて違う仕事に就きたい。こう希望する人は自分自身を教育しようとする。結果として自分の値上げにつながるかもしれない。

3種類の教育投資

 どのような教育投資があるか考えてみた。まず専門教育がある。今就いている仕事あるいはこれから就きたい仕事で必要とされる技能や知識を身に付ける。企業は各種の研修を用意し、何らかの資格取得に対し補助金を出すこともある。転職を検討している人は次の職で必要な技能や知識を学ぶために自分で投資をする。

 次に人と仕事をするための教育がある。こちらも企業と本人がそれぞれ投資できる。適当な表現を思いつかず「人と仕事をするため」としたが、例えばマネジャの教育がある。リーダーシップとは何でどう発揮すればよいのか。自分の組織の目標をどのように立て、それをどう達成していくか。部下のやる気や力をどう引き出すか。こういったことを学ぶ。

 マネジャではなくても、自分の目標の立て方、取り組み方、やる気の維持の仕方は学ぶ意味がある。また資料の作成方法、説明のやり方、外国語なども人と仕事をするために役立つ。

 三つ目として人間の基本に関する教育がある。これまた妙な表現だが要するに教養を深めたり根性を鍛えたりすることである。教育というより色々な経験を積むとした方が分かりやすいかもしれない。何らかの趣味や運動あるいは社会貢献活動などが含まれる。

 いすれも自分で取り組むものである。趣味も運動も好きだからやるのであって自分の値上げとは本来関係がないが、それによって人としての幅が広がれば、専門家あるいはマネジャとして成果を出すことに役立つだろう。