自分の腕一本で食べていける人は別にして大抵の人は何らかの組織に属して働いており社長や代表でない限り「上司」がいる。上にいる管理職が自分に与える影響は大きい。その上司が駄目な人であった場合、どうすればよいか。

 駄目と言っても色々である。出世することしか考えていない。性格が歪んでいる。目標達成のために不法行為を黙認する。いずれも駄目な上司であるが、部下に相応の配慮をし、性格が素直で不法行為は一切しない上司であっても駄目な場合がある。

 将来に向けた方針を示さない。いつも忙しそうで話を聞いてくれない。やる気が薄れる指示ばかり出す。こうした「リーダーシップ無き上司」も駄目な上司と呼ばざるを得ない。

 「あの課長は良い人柄だけれどもリーダーシップが弱い」「執行役員なのだからそれに見合ったリーダーシップを発揮してほしい」。このような指摘を読者の皆様はしばしば見聞きされているだろう。

 自分の上にいる人にリーダーシップが無い場合どう対処すべきか。悪影響が出るのは確実であり堪え忍んでいるだけではまずい。また、部下を持つ人であれば自分自身はどうなのか。部下から「リーダーシップ無き上司」と言われてはいけない。

 つまり『「リーダーシップ無き上司」にどう立ち向かうか』という問いかけは「上司を持つ自分」と「上司である自分」の両方に投げかけられたものになる。

 ここまで書いてきて言葉の定義が気になったので広辞苑を引いてみた。

 上司とは「上級の官庁・官吏。また、うわやく」、上役とは「上位の役人。職制として上位の人」、リーダーとは「指導者、先駆者。先達。首領」、リーダーシップとは「指導者たる地位または任務。指導者としての資質・能力・力量。統率力」だそうである。指導者は載っていなかったので、指導を引くと「目的に向かって教えみちびくこと」と出ていた。

 広辞苑の定義を眺めていると、上司とリーダーはそもそも違うから上司にリーダーシップが無くても差し支えないという気がしてきたがおそらく勘違いであろう。「目的に向かって教えみちびく」力は上司、あるいは将来上司になる人に欠かせないという前提で話を進めたい。

「リーダーシップの適切なトレーニングもなく手本も示さない」

 リーダーシップは「目的に向かって教えみちびく」力であり、そのためには人々をまとめていかなければならないから「統率力」でもある。外来語を広辞苑の定義に沿って論じるのは変なので最近読んだ『人と組織を動かす能力 第2版 リーダーシップ論』(ジョン・P・コッター著、ダイヤモンド社)に基づいて話を進めていく。著者はハーバードビジネススクールの名誉教授でありリーダーシップの研究者として知られている。

 コッター教授は「リーダーシップとマネジメントは相異なるも補完し合う行動体系である」と定義する。このマネジメントは「管理」と訳したほうが分かりやすい。リーダーシップの役割は「変化に対処すること」であり、マネジメントは「複雑な状況にうまく対処する」ことだという。

 リーダーシップがある人は大きく三つのことをやり遂げる。まず変化に応じた改革の「方向性を決める」。組織のメンバーと常時コミュニケーションをとり「心を一つにする」。メンバーの動機、欲求、価値観、感性などに訴えかけ、やる気を引き出し、「皆を正しい方向へ導き続ける」。