久しぶりに記者の眼を書くので、いつも執筆している極言暴論とは全くテイストの違う話をしようと思う。今や最強のバズワードと化した「AI(人工知能)」と、さすがにまだバズワードではないが赤丸上昇中の「デザイン思考」。全く違う領域の二つの話を掛け合わせて、人間の未来を考えてみたい。タイトルや書き出しを読み「バカか、こいつは!」と思った読者には時間の無駄だろうから、この記事をスルーすることをお勧めする。

 そもそも私は、AIについては過小評価することにしている。というか、この手の話は喧伝されていることをディスカウントして聞いておくに限る。まして「AIやロボットが人間の取って代わる」などと大騒ぎするのは愚の骨頂と思っている。「では、記事のタイトルは何なんだ」とツッコミが入りそうだが、それについてはこれから順次述べていく。

 ちょうど私が駆け出しの記者だった30年ほど前に、同じようなAIブームがあった。そして今と同じように、バラ色の未来と暗い未来が盛んに語られた。専門家のノウハウを詰め込んだエキスパートシステムが普及すれば、専門家は不要になる。まさにAIが人間に取って代わる。人間はこれから先、どうやって生きていけばよいのか。そんな話だった。

 もちろん、当時はコンピュータの処理能力があまりにチープで、AIに食わせるデータも限られていたから、過剰な期待や不安は的外れであった。では、その後の30年で人間は仕事を奪われなかったかと言えば、そうでもあり、そうでもない。エキスパートシステムは限定的な用途では実用化されたし、別にAIに限らず、コンピュータや産業用ロボットは多くの人の仕事を奪い続けてきたからだ。

 だから、今日のAIブームでも過剰な期待と不安は無用だ。もちろん、コンピュータの処理能力も利用できるデータも30年前とは天と地ほど違うから、今のAIははるかにまともな仕事ができる。その結果、AIはこれまで以上に多くの人に利便性を提供できるだろうし、多くの人から仕事を奪う。そもそもAIに限らず、全ての技術進歩がもたらす必然なのだから、本来はどうこう言っても仕方が無い。