AI(人工知能)ブームが再来した。同時に「機械に仕事を奪われる」というAI脅威論も再び頭をもたげてきた。機械が人を代替するというのは以前からあった話だ。ただ、産業機械が肉体労働者の職を奪い、既存のコンピュータが事務作業者の仕事を削り取ってきたのと、AIの脅威とはわけが違う。付加価値が高いはずの知識労働まで取って代わられる可能性があるため、不安に思う人が新たに出てきたわけだ。

 だが私は「早くAIが普及して、人間の情報収集や意思決定を代替してくれればよいのに」と思っている。特に、ビジネスにおけるAIの一刻も早い普及を切に願っている。それは別にAI礼賛からではない。むしろ“人間不信”からだ。さらに言えば、これは「日本企業の管理職は、まともな意思決定など行っていないのだから、AIに置き換えたほうがよい」といった酒飲み話の類の話でもない。

 実は、人間は“自分の都合の良いように”情報を選択し、自分の感情に従って状況を判断してしまう愚かな存在だ。どんな優秀な人でも、どんなに誠実な人でも、それから逃れることはできない。しかも、無意識にやってしまうから始末に負えない。だからこそ、我々のような記者の仕事では、自分に対する過信は厳禁だ。丹念に一次情報ソースに当たり、いわゆるウラを取り、デスクなどの“他人の目”も通して記事にする。

 このことは本来、企業の経営者や管理職、研究者をはじめ、どんな職業の人の間でも常識のはずだ。つまり「思い込みは禁物」「予断を持つな」である。ところが、どうも最近おかしい。TwitterやFacebookなどのソーシャルメディア上には、思い込みに基づく“真実”に満ちあふれている。判断力が未熟な子供ならともかく、事実に忠実であるべき大の大人までが、その虜となっている。

 顕著に現れるのは、広く関心事となり「賛成」「反対」あるいは「非難」「擁護」など意見が割れやすい“ネタ”の場合だ。安保法制や原発稼働の是非から芸能人の不祥事まで、それこそいくらでもある。「おいおい、それはプライベートでの、それこそ酒飲み話だろう。ビジネスでなら、人は情報収集や判断に慎重になるよ」と思う読者がいるかと思うが、実はビジネスにおいてもあやしい。順を追って述べる。