長時間労働の是正は、企業にとって喫緊の課題だ。電通で発生した過労自殺もあり、社会的な関心は高まる一方。IT企業各社も残業時間の削減に取り組んでいる(関連記事:“ブラック業界”から脱却できるか、IT大手に残業時間を緊急調査)。

 しかし、長時間労働の話になると決まって出てくるのは「好きな仕事ならいくら働いても苦にならない」「仕事を通じて達成感を得られれば疲れも吹き飛ぶ」「自身の成長のためにもっと働きたい人もいる」「パワハラなどがない働きやすい職場であれば十分」といった、労働時間の制限に反対する意見だ。

 筆者はこの考え方は危険だと考える。好きな仕事をしていたり、達成感や成長を実感したりすると、確かに「疲労感」は吹き飛ぶ。ただ、これはあくまでも脳が「疲れているという感覚」を認識しなくなるだけ。疲れは体を蝕んでいる――。

 筆者はちょうど1年前、日経SYSTEMS 2015年12月号で「ここ一番にダウンしない 疲れマネジメント」という記事を執筆した。そこで疲労研究の第一人者である関西福祉科学大学の倉恒弘彦氏(健康福祉学部 学部長・教授)に取材する機会を得た。倉恒氏の話を伺い、筆者の疲れへの考え方は大きく変わった。

疲れと疲労感は別

 なぜ「好きな仕事で長時間労働」が危険なのか。まずは疲労のメカニズムを知っておきたい。倉恒氏によると、最近の研究に基づく疲労の仮説は次のようなものだ。

 「心身に過剰な負荷を受けると、人体を構成する細胞の中でタンパク質や遺伝子が傷つく。そして、人体はそれを修復しようとする。修復にエネルギーを取られて、人間の活動能力が低下する。これが疲労の正体であると分かってきた」(倉恒氏)。

 疲れにはもう一つ、重要なポイントがある。活動能力を低下させる「疲労」と、それを本人が自覚する「疲労感」は異なることだ。細胞や遺伝子が傷つくと、神経伝達物質「セロトニン」が脳に疲労を自覚させる。これが疲労感になる。セロトニンを介して、身体や脳のどこかで起こった疲労を、前頭葉(脳の部位)にある疲労の見張り番が気付くというメカニズムである。

 ただ、こうしたメカニズムゆえに、疲労はあるのに、脳が疲労感を自覚できなくなることがある。好きな仕事をしていたり、達成感を得たりすると、脳の中で「ドーパミン」や「ノルアドレナリン」といった神経伝達物質が増える。ドーパミンやノルアドレナリンはセロトニンの働きを覆い隠す働きをする。つまり、脳は疲労感を認識しにくくなる。

 これは疲労感を自覚しなくなっただけで、疲労がリセットされたわけではない。倉恒氏はこれを「疲労感なき疲労」と呼ぶ。「自覚はなくても活動能力は下がっている。仕事をしてもはかどらないし、突然体調を崩してしまう恐れがある」(同氏)。

 疲労回復を回復するのは睡眠か休息しかない。結局のところ、長時間労働を是正する以外に道はない。手抜きのテクニック(関連記事:IT現場の“ブラック職場化”を防ぐ手抜きの秘訣)も使いながら、地道に残業を減らしていくことだ。健康な職場作りに裏道はない。