写真1●富士通執行役員常務ユビキタスプロダクトビジネスグループグループ長の齋藤邦彰氏と、2000万台を記念した金色のパソコン
写真1●富士通執行役員常務ユビキタスプロダクトビジネスグループグループ長の齋藤邦彰氏と、2000万台を記念した金色のパソコン
[画像のクリックで拡大表示]
写真2●記念式典ではくす玉を割り、2000万台出荷達成を祝った
写真2●記念式典ではくす玉を割り、2000万台出荷達成を祝った
[画像のクリックで拡大表示]
写真3●工場内のデスクトップパソコン製造ライン
写真3●工場内のデスクトップパソコン製造ライン
[画像のクリックで拡大表示]

 福島県伊達市で富士通のパソコンやサーバーを製造する富士通アイソテックは2015年2月20日、デスクトップパソコンの累計出荷台数が2000万台に到達したと発表した。デスクトップパソコンの製造を開始してから20年。他社が海外生産へとシフトする中で独自のコスト削減を進め、台数を積み上げた。2011年3月11日の東日本大震災の被害も乗り越えた。カスタマイズの要請に柔軟に対応するなど強みを生かしつつ、国内生産を守り続ける。

 同社は1994年12月にデスクトップパソコンの製造を開始。それから20年後となる2015年1月16日に2000万の大台に到達した。簡単に達成できたわけではない。国内パソコンの90%以上が中国製となる中で、「日本で作り続けることは本当に大変だった。一時期は中国での労働者コストが日本の10分の1と言われた。それに対抗するため、毎年10%のコストダウンを進めた」と、記念式典で富士通執行役員常務ユビキタスプロダクトビジネスグループグループ長の齋藤邦彰氏は振り返った(写真1、2)。

 2003年にはトヨタ生産方式を取り入れることで効率化や生産性を高めるなどの改善を進めたほか、現在ではノイズ解析や放熱特性分析などシミュレーションを積極的に取り入れ、さらなる効率化を目指している。

 2011年3月の東日本大震災では組み立てラインの棚が倒れ、パイプが崩れるなどの大きな被害を受けた。富士通グループのBCP(事業継続計画)を発動し、震災から12日後には島根富士通で代替製造を開始した。さらに震災後38日で福島県伊達市での製造ラインを復旧させた(写真3)。「地域の皆さんの励ましで38日という短期間で復旧できた」(富士通アイソテックの岩渕敦 代表取締役社長)と、地域とのつながりが大きな支えになったと強調する。現在は、同社で製造したデスクトップパソコンを「伊達モデル」と銘打っている。

 もはやパソコン市場の大幅な伸びは期待できないとはいえ、今後も企業向けデスクトップは安定した需要がある。ユーザーのかゆいところに手が届く製品を作るため、今後も国内での製造にこだわっていくという。信頼性の確保や柔軟なカスタマイズなど「日本でしかできない付加価値を大切にして、22世紀まで3000万台、4000万台と作っていきたい」(齋藤氏)と決意を示した。