写真:Getty Images、amanaImages、CG:shige
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童話の世界で桃太郎は犬と猿、雉を連れ鬼を退治した。誰もが知る話だが、一方で桃の格安航空会社(LCC)Peach Aviation(ピーチ)が空の激しい戦いを勝ち抜くために3つのIT戦略を持つことはあまり知られていない。キーワードは「クラウド」「体制」「新技術」。LCCの代表格として上昇気流に乗るピーチの成長を支える、LCC流のIT活用術に迫る。

 6年前の2012年3月。ピーチは本拠とする大阪・関西国際空港(関西空港)と新千歳・福岡・長崎・鹿児島の各都市を結ぶ4路線をひと月足らずのうちに相次いで開設し、格安航空会社(LCC)としてデビューを果たした。その後も急ピッチで路線網を増やし、事業規模を急拡大させている。

[戦略1 クラウド]
システムは全てクラウド 3年契約で囲い込み回避

 急成長を支えてきたのがクラウドだ。社内で利用する情報システムを全てパブリッククラウドで構築するのがピーチの戦略。システムの保守に多くの人員を割く必要がなく、事業拡大に必要な情報システムを迅速に導入できるほか、その時々の最新技術をいち早く社内業務に取り入れられるからだ。人事・イノベーション統括本部 イノベーション統括部長の前野純氏は「勤怠から経費精算、入退室管理、電話、監視カメラまで、何らかのシステムを導入するときは必ずパブリッククラウドのサービスから探す。パブリッククラウドがなければ今のピーチは存在しない」とまで言い切る。

 そんな同社も、設立当初は一部の業務でプライベートクラウドを採用していた。例えばメールサーバーやグループウエアは、プライベートクラウド版の「Exchange Server」と「SharePoint Server」を利用していた時期がある。経費精算はSharePoint上で前野部長らが開発したシステムを使っていた。

 しかしその後、運行路線や便数を広げ、社員数が増えると、プライベートクラウドでは対応しきれなくなった。経費精算システムは決算期にアクセスが増えるとレスポンスが著しく低下。メールサーバーはメールの保管に使えるディスク容量が7ギガバイトしかなく、社員にこまめにメールを削除してもらいながら運用していた。こうした苦い経験を踏まえ、事業拡大に応じて容易に契約を増やせるパブリッククラウドを原則とした。

 クラウド導入にあたっては1つのポリシーがある。契約期間を長くても3年間に区切り、定期的にサービスを見直すのだ。ベンダーに見積もりを依頼する際も月額利用料などではなく「3年間運用した場合のトータルコスト」で提示するよう提案依頼書(RFP)に明記している。

 3年単位の理由について前野部長は「パブリッククラウドであっても、そのシステムが固定化するとどうしてもコストがかかってしまう。それを避ける狙いがある」と明かす。仮に長期間使う前提で、ベンダーのライセンス体系に従って月単位でコストを見積もると、運用中にライセンス体系の改訂による値上げを通告された場合、乗り換えを想定していないため泣く泣くそれを飲まざるを得なくなる。3年間の運用であれば、ベンダーから値上げを通告されても「次は他社のクラウドに乗り換えますよ」と対等な立場で価格交渉ができ、実際に乗り換えも容易だ。

 新たなクラウドサービスが次々に登場し、競争が激しい現状で、5年や7年と長期にわたり使っていたら技術の進歩に追い付けなくなるとの危機感もある。「どんどん変えられるのがクラウドの良さ。社内の生産性が上がるよう積極的に見直していく」(前野部長)。

 同社は実際に、メールとグループウエアを「Google Apps for Work」「Exchange Server/SharePoint Server」「G Suite」と乗り換えてきた。直近の乗り換えでは運用コストを40%削減したほか、G Suiteに含まれる「Google Drive」「ハングアウト」で動画ファイルなどを社内で簡単に共有できるようにして、生産性を高めた。クラウドサービスの乗り換えは社員へのレクチャーやデータの移行が必要になるため一定の負担がかかる。それでも「乗り換えれば生産性が高まると理解してくれているので、現場の社員は付いてきてくれる」(前野部長)という。

[戦略2 体制]
IT人材を各部門に配置 「オーナー」制で責任明確

 情報システムを全てクラウドに載せているとはいえ、トラブルなく円滑に動かし、かつ便利な新サービスを創出するにはITの専門知識を持つ人材が不可欠だ。ピーチはIT人材が社内で活躍し、情報システムの費用対効果を高められるよう、独自の工夫を凝らしている。

 まずはIT人材の配置だ。同社の組織のうち、一般的な企業のIT部門と最も近いのが前野部長率いる「イノベーション統括部」。育児休業中の1人を含め、11人の社員が所属する。ただ、同社のITプロフェッショナルは同部の社員だけではない。運航や空港、営業、人事など現場の各部署に1人以上、ITを専門に担える人材を配置している。

 現場の各部門に所属する約10人のIT要員は、個々の現場でITを活用した業務改善や新サービスなどのニーズをくみ取ってシステムとして形にする役割を担う。例えば社内の業務システムであれば、どのような機能や使い勝手が求められているか、投資できるコストはどの程度か、といった議論を現場の社員と重ね、RFPの作成も各部門が主導する。新たなクラウドサービスの導入時は現場の社員へのレクチャーなども引き受ける。

図 ピーチの情報化推進体制
社内の各部署にITの専門家を配置
図 ピーチの情報化推進体制
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 ピーチは新規のクラウドサービスを導入する際、そのサービスの「システムオーナー」となる部門はどこかを必ず決めている。理由は2つある。1つは個々のシステムを必要とする部門内でどのクラウドサービスが最適かを徹底的に議論し、現場の社員たちが自ら納得して活用できるクラウドサービスを選ぶためだ。

 もう1つはシステムオーナーとなった部門に責任を持ってコスト管理に取り組んでもらい、費用対効果の高い状態を維持し続けるためだ。「クラウドサービスを情報システム部門が管理する体制にすると、現場は『こういうのを用意して』とリクエストするだけになりコスト感覚が麻痺してしまう。現場の各部門が責任を持って導入から運用まで担う」(イノベーション統括部の坂本崇システムストラテジスト)。

 各部門のIT要員は所属部門の業務にも精通している必要がある。そこで同社は、例えば整備とIT、空港とITなど、現場業務とITの両方に明るい人材を中途採用している。「そういう人材がほしいと思い続けていれば徐々に集まってくるもの。現在は大半の部門に現場業務とITの両方が分かる社員を配属できている」(前野部長)。

 イノベーション統括部は各部門のIT要員では対応しきれない複雑な内容の問い合わせやRFPの作成などについて後方支援する。関西空港内にある本社は、全部門が同じフロア、1つの部屋に入居しており、部門間の垣根が低い。各部門とイノベーション統括部のIT要員たちも頻繁に顔を合わせている。

関西空港内のピーチ本社。ワンフロアで壁もなく、各部門のIT要員が集まりやすい(左上、下)。右上はITによる新サービスや新システムの開発を担う、イノベーション統括部の社員たち(写真提供:Peach Aviation)
関西空港内のピーチ本社。ワンフロアで壁もなく、各部門のIT要員が集まりやすい(左上、下)。右上はITによる新サービスや新システムの開発を担う、イノベーション統括部の社員たち(写真提供:Peach Aviation)

 イノベーション統括部が新規のシステムやサービスの開発を手がけることもある。最近では国際線の自動チェックイン機にビザ確認機能を追加した。

 一般に国際線は、乗客が到着地で入国できるパスポートやビザを保有しているかどうかを、航空会社の責任でチェックすることが求められる。仮に乗客が到着地で入国を拒否されると、航空会社が運賃を負担し出発地に連れ戻す義務が生じる。

 ピーチはLCCとして運航コストを抑えるため、チェックインは空港の自動チェックイン機でするよう誘導している。しかし同社が国際線に就航した当初、ビザは有人カウンターで空港スタッフが目視で確認せざるを得なかった。人件費もさることながら、ビザの確認は複雑で責任も重大なためスタッフの心理的な負担も大きかった。

 「人手では無理。システムで何とかできないか」。空港部門のIT要員から相談を受けたイノベーション統括部のメンバーは、パスポートスキャナーで読み取った画像をOCR(光学的文字認識)でテキストに変換してビザが有効かどうかを確認する海外の航空業界向けクラウドサービスを探し出し、チェックイン機の操作フローにビザのチェック機能を組み込む改良を2カ月ほどで施した。「ビザのチェック機能を備えるチェックイン機はほとんどない。確認を含めても、乗客1人あたり30秒程度で手続きを完了できる自動チェックイン機は当社のものくらいだろう」(前野部長)と胸を張る。

イノベーション統括部が開発したビザの有効性チェック機能付きチェックイン機(左)とイノベーション統括部の前野純部長(右)(写真提供:Peach Aviation)
イノベーション統括部が開発したビザの有効性チェック機能付きチェックイン機(左)とイノベーション統括部の前野純部長(右)(写真提供:Peach Aviation)

[戦略3 新技術]
音声AI、エッジ… 最新技術はすぐ試す

 クラウドサービスの積極的な導入とIT活用を根付かせる独自の体制で、生産性を高めるピーチだが、それだけが同社の成長を支えているわけではない。世に出たばかりの最新技術をいち早く検証する機敏さとチャレンジ精神でさらなる業務改善に挑み続ける。

 2016年にはベータ版の提供が始まったばかりの米グーグルの音声認識・音声合成AI(人工知能)「Google Cloud Speech API」を検証。コールセンターに組み込み、一部の電話応対を自動化する実証実験にグーグルやNTTデータ子会社のJSOLと取り組んだ。

 自動応対の対象としたのは運航情報だ。Webサイトでも検索可能とはいえ、依然として電話で問い合わせる乗客は多い。台風の接近時などは問い合わせがさらに増える。本社の一角で運営するコールセンターは大幅な増員が難しく、問い合わせの電話に応答しきれないこともしばしばある。

 そこで、例えば「成田」「関空」など出発・到着空港の音声を認識し、そこを発着する路線の当日便の運航が定刻通りか、遅れる場合はどの程度かを運航管理サーバーに問い合わせて音声で自動応対するシステムを構築した。

 当初は乗客の予約番号を音声認識して予約照会することも検討したが、予約番号はアルファベットと数字が混在しており、例えば「9」と「Q」を聞き分けるのが難しい。そこで、誤認識が比較的少ない空港名だけで調べられる運航情報にまず活用した。これだけでも応対できる電話の件数は大幅に増加。「全体の応対件数の3分の1程度を運航情報の自動応対が占めるほどになった」(前野部長)。

 構築期間は1カ月ほど。2016年秋にSpeech APIが大幅に改良され「認識精度が飛躍的に高まった」(前野部長)こともあり、十分に実用レベルだと実感する。Speech APIはアジア各国の言語を認識できる利点もあり、アジア路線を強化するピーチにとって相性が良い。「さらなる活用に向けて準備している」(前野部長)。

図 ピーチが試験導入した、AIによる発着案内サービスの仕組み
グーグルの音声認識・合成AIを運航状況の案内に活用
図 ピーチが試験導入した、AIによる発着案内サービスの仕組み
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 同社はエッジコンピューティングもいち早く試している。2017年5月からNTT西日本とIT企業のJIG-SAWと共同で実証実験を展開。関西空港内のピーチの拠点に置いた7Kカメラの映像を、フレッツ網経由で大阪府内のNTT西日本の電話局内に設置した映像処理サーバーに伝送する。

 ユーザー企業の拠点にサーバーを置く狭義のエッジコンピューティングとは異なるが、インターネットを経由しない。フレッツ網に閉じた通信経路にすることで毎秒18メガビットの帯域を確保。高解像度の映像を数ミリ秒の遅延で伝送し、電話局をエッジコンピューティングの拠点として活用できることを立証した。ピーチの事務所内のネットワーク構成も、既設のフレッツ光回線にエッジ装置を装着しただけで大規模な改修をせずに構築できた。

 この実証実験はピーチが発案してNTT西日本に働きかけ、実現した。「インターネットにつながる相互接続点(POI)と関西空港の間にサーバーがあれば応答が速いのではと考えた。電話局にも空きがあるはずなので、そこを活用できないかとJIG-SAWを介してお願いしたところ、NTT西日本も快諾してくれた」(前野部長)。

図 ピーチとNTT西日本などによるエッジコンピューティングの実証実験の構成図
大容量映像を遅延数ミリ秒で伝送
図 ピーチとNTT西日本などによるエッジコンピューティングの実証実験の構成図
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 実証実験は2018年3月までの計画。その後の具体的な活用方法は決まっていないとするが、例えば音声認識AIをエッジで処理する方式などを検討しているようだ。前野部長は「複数のパブリッククラウドに分散しているデータを集約してビッグデータ解析する際は高速で安全なエッジを使い、長期間保存するデータはグーグルやAmazon Web Services(AWS)などのパブリッククラウドで安価に、といった使い分けができるだろう」とみる。

 クラウドを使いこなし、知り尽くした同社だからこそ、その短所を補えるエッジの可能性にいち早く着目し、実際に試して良さを実感しているわけだ。クラウドの積極活用とそれを支える組織と人材、そして新技術への挑戦。快走を続けるピーチのLCC流とも言えるIT活用術は、多くの企業の参考になりそうだ。