写真:Getty Images 画像提供:ライフネット生命保険
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スマホから1日単位で加入できる損害保険、健康状態に応じて加入後も料率が変動する生命保険──。保険をITで変革する「インシュアテック」の取り組みが熱を帯び始めた。AI(人工知能)による精緻なリスク分析やIoTを活用した健康データの取得など、新技術が伝統的な業界構造に変革を迫りつつある。保険自由化から約20年、ITを軸に保険会社の新たな競争の幕が開いた。

図 国内インシュアテック市場規模
2020年に1000億円超(出所:生命保険領域における国内InsurTech市場に関する調査(矢野経済研究所)、2017年5月29日)
図 国内インシュアテック市場規模
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 待ちに待った夏休み。二泊三日の旅行に出かける家族と車に乗り込んだあなたは、運転前にスマートフォンを取り出した。「そうだ、お気に入りのデジカメに保険かけとかなきゃ」。画面には買ったばかりのデジカメのほか、自宅のテレビや冷蔵庫、エアコンといった購入済みの家電が並ぶ。デジカメを選び、日数を3日間に設定すると「保険料は90円です」と表示された。金額を確認して申し込みボタンをタップすると、1分ほどでデジカメの損害保険に加入できた。「これで万が一デジカメが壊れても安心だな」――。

国内初のオンデマンド損保

 あらかじめ登録した家電などをスマホで選び、1日単位で加入できる。こんな損害保険がこの8月に国内で初登場する。その名は「Warrantee Now(ワランティ・ナウ)」。ITベンチャー企業のWarranteeが、損保最大手の東京海上日動火災保険などと組んで始める新サービスだ。

 新サービスの最大の特徴は「即時性とオンデマンド性」(東京海上日動の堀内一優情報産業部NTT室課長)だ。保険をかけられるのはデジカメのほかテレビやデジタルレコーダー、冷蔵庫、洗濯機、エアコンなど家電全般。保険料はデジカメやデジタル家電なら1日(24時間)当たり39円から、冷蔵庫などの生活家電なら同19円からだ。

 補償内容はモノ(動産)に対する既存の動産総合保険と同様だ。ただ従来の動産総合保険は契約期間が1年など長期で、保険料も数千円を一度に支払う必要があった。新サービスは「利用者が気に入っているもの、大切にしているものに、1日から柔軟に加入できる」(Warranteeの庄野裕介社長)。

 万が一製品が故障した際は、加入者がメーカーに修理を依頼できる。修理代金はWarranteeと組む損保会社がメーカーに支払う。メーカーは宅配便などを使って利用者から商品を引き取り、修理したうえで利用者に送る。

 損保会社としては主幹事となる東京海上日動のほか、MS&ADインシュアランスグループホールディングス傘下の三井住友海上火災保険とあいおいニッセイ同和損害保険が加わる。

65万件の家電保証書DBを活用

 保険に加入する製品を選ぶ、保障対象の期間を選ぶ、利用規約に同意するなど全ての手続きがスマホで完結する。書類の記入や捺印は不要だ。「スマホのEC(電子商取引)サイトで商品を購入するような感覚で加入できる」。Warranteeの庄野社長はこう話す。1日単位で加入できる損害保険は、旅行保険やゴルフ保険などがあった。ただ、動産保険の場合は加入対象となる製品の情報を細かく入力する必要があるため、スマホで手続きを完結させることが難しかった。

 しかも新サービスは家電の型番や購入時期など、保険料の算出に不可欠な情報を一切入力する必要がない。その秘訣は、家電製品の保証書データ65万件を収めたWarranteeのデータベースにある。同社は家電製品などの保証書の情報を管理する個人向けのクラウドサービスを手掛ける。利用者がスマホのカメラで保証書を撮影すると、内容を読み取って文字データに変換。製品名や型番、購入時期といったデータを、利用者ごとに管理する。

 Waranteeが手掛ける既存の保証書管理クラウドの特徴は、家電の修理や売却といった手続きをアプリからワンタッチで実施できることだ。アプリ内で修理依頼のボタンを押すと、提携している家電メーカーの修理部門に依頼内容とともに保証書に記した情報が送られる。利用者はメーカーに連絡して、これらの情報を伝える必要はない。Warranteeは大手を中心に10社ほどのメーカーと提携している。「いざというときに手元にないことが多い保証書を一元管理できる、利用者とメーカーの双方にハッピーなサービスだ」(庄野社長)。

 この仕組みをオンデマンド損保に応用した。東京海上日動はWarranteeを通じて加入申込みを受け付けると、インターネットAPI(アプリケーション・プログラミング・インタフェース)経由で保証書データベースを参照。「詳細な購入時期などまで分かるため、製品の現在価値やリスクを計算しやすい」(堀内課長)。自社が持つ既存の保険料算出テーブルと突き合わせて、保険料を即座に算出する。家電製品に1日単位で損害保険をかけること自体は、これまでも可能だった。ただ書類を記入する手間がかかるほか、保証書を紛失していた場合は製品の価値やリスクの判定が難しいという課題もあった。

 「ITを活用して新規ビジネスを積極的に創出していきたい」。東京海上日動の堀内課長はこう意気込む。

図 Warranteeが提供するオンデマンド損害保険の概要
出かける前にワンタッチで(画像提供:Warrantee)
図 Warranteeが提供するオンデマンド損害保険の概要
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生損保が「インシュアテック」に動く

 Warranteeが東京海上日動らと組んで始める新サービスは「インシュアテック(InsurTech)」の代表例だ。インシュアテックとは保険(Insurance)とITをかけ合わせて、これまでにない保険商品を開発したり高度な保険業務を実現したりする取り組みの総称だ。金融とITをかけ合わせたFinTechに続き、2016年ごろから日本でも動きが活発になり始めた。

 大手生命保険の中で比較的早く動いたのが第一生命保険だ。2015年12月に「InsTechイノベーションチーム」と呼ぶ推進組織を発足。日立製作所やNTTデータといったITベンダーとの協業、大学との共同研究を通じて、同分野の事業開発を進めている。

 損保業界ではSOMPOホールディングスが2016年4月に「SOMPO Digital Lab」を発足。東京と米シリコンバレーに拠点を設け、ITベンチャーの発掘や協業を通じてインシュアテックを推進する。

 中堅でも参入の動きが盛んだ。楽天生命保険は2017年7月1日、インシュアテックに関する研究組織「楽天生命技術ラボ」を発足した。親会社の楽天と協力してAIやビッグデータ分析の技術を活用し、新しい保険商品やサービスの開発、申し込み手順の効率化に取り組む。

 矢野経済研究所は2016年度の国内インシュアテック市場(生命保険分野)を460億円と試算。保険金や給付金の支払い、査定といった分野にAIを活用する動きが市場をけん引すると分析する。IoTやビッグデータ分析のインシュアテック分野での応用例に同社が挙げるのが、健康増進型の保険や疾病管理プログラムだ。ウエアラブル端末やスマホアプリを使って契約者の歩数や心拍、体温、睡眠といったライフログデータを収集。健康増進を促す保険商品を開発することが期待できるという。

AI、IoT、ビッグデータがけん引

 生損保各社の活動を見ると、インシュアテックの取り組みは3種類に大別できる。新たな保険商品の開発、顧客向けサービスの改良、バックエンド業務の高速化や効率化である。

 新商品については、先に挙げたWarranteeのオンデマンド保険のように契約期間をきめ細かく設定できるほか、従来よりも精緻にリスク分析して多くの人が加入しやすくする。

 サービス改良は契約者からの問い合わせへの応答や契約内容の確認、保険料の見積もり、住所変更などに生かしやすい。スマホのチャットアプリを使って問い合わせや保険料の見積もりなどを受け付け、利用者の手間を減らす企業も増えている。

 バックエンド業務の本命は、保険料の査定、契約締結の手続きである「引き受け」、住所や名義を変更する「保全」などの効率化だ。保険会社のIT活用の中核領域であり、これまでは数十年にわたりメインフレームを中心に構築した基幹業務システムが担ってきた。最近では定型作業を自動化するRPA(ロボティック・プロセス・オートメーション)技術などの先進ITを導入する動きもある。インシュアテックはこれまでの効率化の取り組みをさらに加速させる役割も担う。

図 インシュアテックの全体像
ITで高度な保険事業を実現へ
図 インシュアテックの全体像
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 生損保がインシュアテックに動くのは、経営環境が厳しさを増していることと無縁ではない。生命保険協会によると、個人保険の保有契約高は2017年3月末で862兆円と1996年をピークに減少傾向にある。国内の人口が減り続けるなか、各社は新たな保険需要の開拓を急いでいる。

 そんな保険業界をITの普及と進化が後押しする。AIやビッグデータ分析技術、IoT(インターネット・オブ・シングズ)などの先端ITが普及し、従来よりも高度なデータ分析や効率的な業務判断が可能になった。

図 個人向け生命保険の契約規模
保有契約高は横ばい(出所:生命保険協会)
図 個人向け生命保険の契約規模
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健康になるほど保険料が安く

 あなたの健康年齢は43歳です。実年齢は48歳ですから、保険料は下がります――。第一生命ホールディングスの100%子会社であるネオファースト生命保険が2016年12月に発売した「カラダ革命」が好調だ。販売件数は毎月400~500件。月によって上下するものの「想定を上回っている。通常の新商品に比べても好調だ」(菅原隆裕商品事業部課長)。

 カラダ革命は同社が独自に算出した「健康年齢」を基に、3年ごとに保険料を算出し直す。実年齢に関係なく健康年齢が若いほど保険料が安くなる新タイプの商品だ。「データに基づいてきめ細かく保険料を割り引く商品は業界初。加入者の健康増進を後押ししたい」(同)。

 健康年齢は医療統計事業を手掛ける日本医療データセンター(JMDC)が開発した指標だ。ネオファースト生命は同指標を基に、ほかの分析技術も組み合わせて独自の健康年齢を算出する。算出に使うのはJMDCが持つ公的医療保険の健康診断データと、計160万人分の診療報酬明細書(レセプト)のデータだ。

 カラダ革命は入院保障型の医療保険だ。がん、心・血管疾患、糖尿病などの7大生活習慣病による入院費を保障する。

 今後はウエアラブル型センサーやスマートフォン、AIなどを使って、一段と多様なデータを分析したり健康年齢算出の精度を高めたりすることを検討している。具体的には加入者の日々の健康状態や運動の結果、ストレス、食事などのデータの活用を想定。「人間が気付いていない知見を、ビッグデータから得たい」(菅原課長)。

 日本生命保険もビッグデータ分析を使ったインシュアテックに参入する。企業や団体、健康保険組合に向けて、ITを使って健康改善を支援するサービスを2018年4月にも始める。新サービスの開発に向けて、野村総合研究所やリクルートホールディングスとこの5月に提携した。

 提供するサービスは大きく三つだ。健保組合や共済組合向けには、健診データに基づいて各組合加入者の健康問題に関する現状把握から改善計画の策定、計画の実行、取り組みの評価を支援する。組合の加入者向けには、ネットやスマホを活用して健康意識の向上や健康改善活動の取り組みを促すサービスを開発する。企業や団体に向けて、従業員のストレスチェックや労働生産性の向上といった健康経営を支援するサービスも提供する。

 日本生命は各種のサービスを通じて、健保組合の加入者や企業の従業員の健康に関するデータを収集。同データを分析・活用する基盤システム「ヘルスケアデータプラットフォーム」を構築する。プラットフォームを活用することで、高度な保険事業や健康寿命を延ばすための新サービスを創出しやすくする。例えばより多くの疾患を保障する保険商品を開発したり、健診・医療データを組合などから直接受け取って手続きを簡素にしたりする。個別の新商品を開発するよりも一段階大きな取り組みと言えそうだ。

 2020年度末までに500万人のデータ収集を目指す。「ビッグデータを活用して保険の裾野を広げたい」(神谷佳典営業企画部ヘルスケアデータ事業企画部長)。

図 第一生命ホールディングスの健康年齢に基づく生命保険
健康になるほど負担が軽く
図 第一生命ホールディングスの健康年齢に基づく生命保険
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健診や運動を総合評価する保険も

 こまめな健康チェックに禁煙活動、日々の運動など健康増進活動の成果を総合的に評価して、保険料の割り引きをはじめとする様々な特典を受けられる。住友生命保険は、こんな保険商品の開発を進めている。パートナーに選んだのはソフトバンクと、南アフリカの金融サービス会社ディスカバリーだ。

 2016年7月に「Japan Vitality Project」の名称で発表した。ディスカバリーが世界で販売する保険商品「Vitality」の日本版を3社で共同開発する。住友生命が保険業務の知見提供を、ソフトバンクが健康チェックや運動のデータを管理するIoT機器やスマホアプリの開発を、それぞれ担う。

 基本方針は「保険加入者に健康増進に向けた行動変化を促す」(住友生命)ことだ。健康増進活動の成果をポイントに換算し、年間の獲得ポイントに応じて加入者の状態を判定。良い状態と判定されるほど多くの特典が得られる。保険料の割引に加えて、スポーツ施設や映画鑑賞、ホテルや旅行などの割引クーポンを想定する。

 ネット生保の先駆けであるライフネット生命保険は顧客サービスの改善に取り組む。2017年9月にも、契約内容の見直しや住所の変更といった契約関連手続きをLINEで完結できるようにする。国内生保として初の取り組みという。「生命保険をこれまで以上に身近な存在にするため、顧客の日常生活に浸透しているサービスを入り口にする」(ライフネット生命の岩瀬大輔社長)。

 将来は新規の保険契約手続きのLINE対応も視野に入れ、ネット生保からスマホ生保へと事業転換を狙う。ちょっとしたスキマ時間に保険契約を見直せる手軽さを打ち出し、若年層を中心に契約者増を狙う。

図 ライフネット生命保険のLINEを使った保険サービスの画面
スキマ時間に保険の相談(画像提供:ライフネット生命保険)
図 ライフネット生命保険のLINEを使った保険サービスの画面
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保険会社は基盤事業者に進化

 「保険会社はデータ収集からサービス提供までを自社で担う自己完結型の企業から、様々な企業と連携して新たなインシュアテックのサービスを創造するプラットフォーム企業へと変貌していくだろう」。PwCコンサルティングのアビジート・ムコパドヤイ金融サービス事業部パートナーはこう予測する。ここで言うプラットフォームとは、様々な技術を持つ外部の企業やデータベース、人材を結びつけて、新たな事業やサービスを生み出す組織を意味する。

 結びつける相手は従来の保険や金融の会社に限らない。健康、食品、小売り、サービスなど多様な業種が対象になるという。「顧客が求めるのは自身の生活全体をカバーしてくれるサービス。伝統的な業界構造を根底から変える新たなつながりが生まれる」(同)。保険会社にとって新たな事業機会だ。

 一方で健康状態などによる「過度」な細分化について懸念する声もある。富国生命保険の米山好映社長は「健康弱者からすれば保険料が上がるかもしれない」と指摘する。

 1990年代後半の保険自由化から約20年。保険会社はITをこれまで以上にうまく活用する力が求められている。