写真:新関 雅士
写真:新関 雅士

赤字続きだったソフトバンクグループの米携帯電話子会社スプリントの業績が急回復してきた。通信網の改善で通信品質が高まり回線契約数が伸びた結果だ。年2000億円規模の経費削減や営業攻勢も奏功した。数年前は通信品質が米携帯大手4社中最下位だったが孫正義社長は「誇りにかけて反転して見せる」と誓い有言実行で結果を出した。スプリント復活の軌跡を追う。

 米スプリントが2017年5月3日に発表した2016年度(2017年3月期)決算の通期営業利益(米国会計基準)は黒字幅が増加。通信網を改善したことから、通信回線のデータ通信速度が向上して回線契約数が伸びた結果だ。

 スプリントは長く不振が続いていたが2015年度に9年ぶりの営業黒字に転換。年2000億円規模のコスト削減を重ねた成果が出た。2016年度は営業利益が増え、復活ぶりが一段と鮮明になってきた。

図 スプリントの経営改革の概要
通信網の品質改善とコスト削減を同時にやり遂げた
図 スプリントの経営改革の概要
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 孫社長はスプリントの立て直しについて過去の決算説明会で「直近の事業のなかで一番難しかった」と振り返っている。1兆8000億円を投じてスプリントを買収したのが2013年。競合の米TモバイルUSと合併させて米携帯2強の米ベライゾン・コミュニケーションズと米AT&Tに対抗する狙いだった。ところが米当局の合意を得られなかった。

 合併交渉にてこずる間に競合にシェアを奪われて経営は最悪の状況に陥った。通信網の品質は大手4社中最下位で契約回線数は右肩下がり。「買わなきゃよかったとずいぶん後悔した。自信をなくし、世の中が嫌になった」(孫社長)。再建をあきらめて売却も検討したが「誰も買ってくれず」、自力再建に挑んだ。

 テコ入れに向けて孫社長は携帯電話卸会社の米ブライトスターを創業して成功させたマルセロ・クラウレ氏を2014年に最高経営責任者(CEO)として送り込んだ。クラウレ氏はコスト削減や人員削減などを率先したが、技術にはそれほど詳しくない。そこで最大の課題である通信品質の改善に向けて、同氏は孫社長に「技術に一番詳しい人を送り込んでほしい」と要請。その瞬間、孫社長は1人の人物を思い浮かべた。

「日本のやり方は通用しないよ」

 2014年夏のある月曜日。ソフトバンクグループの役員が集まった朝食を取りながらの会議で、孫社長は専務取締役の宮川潤一氏に「真ん中に座れ」と声をかけた。何事かと思いつつ席に着いた宮川氏に孫社長は「明後日からカンザスに行ってくれ」と告げた。カンザスには米スプリントの本社がある。

 当時スプリントの通信網は競合よりもつながりにくいなど「最悪の状態」(孫社長)にあった。宮川氏は名古屋市でインターネット接続事業者の社長を務め、ソフトバンク(当時はソフトバンクBB)が同社を傘下に収めると孫社長の懐刀としてADSL事業をけん引。ソフトバンクが2006年に英ボーダフォン日本法人を買収して携帯電話事業に参入した後は、つながりにくかった携帯網の品質をNTTドコモやKDDI(au)並みに引き上げた。

 「英語も話せませんよ」と驚く宮川氏の意向は聞き入れられなかった。カンザス州に降り立った宮川氏が目にした通信網の現状は想像以上に悪かった。電波の届かない圏外エリアが全土にあり、指摘しても技術陣には「ああそうなの」「対応中」と冷たく返される。米国の国土は日本の20倍以上あるんだから圏外があるのは当たり前という態度。「日本のやり方は通用しないよ」と取りあってもらえなかった。

 改善を指示すると「イエス」と言うが、しばらくして改善したかと聞くと「ノー」と返ってくる。「この前イエスと言ったではないか」と問い詰めると「メイクセンス(同意する)とは言っていない」と開き直られた。技術的な課題を技術陣に聞いても教えてもらえない。日本から来た外様として警戒されていたのだ。宮川氏は心労から1年間で10キログラム以上やせたという。

ちゃぶ台返しに米本社は大騒ぎ

 宮川氏はまず、お金の流れを止める作戦に出る。ネットワーク設計をゼロからやり直す覚悟を決めると、既存の通信設備の増強に必要な機材の発注を全部止めた。時には日本にいる孫社長に連絡して、作業を止めるようにと直訴した。

 ちゃぶ台をひっくり返した宮川氏に、スプリント本社は蜂の巣をつついたような騒ぎになる。現地の技術担当役員らは「機器の調達は取締役会を通った決議事項だ」「ミヤカワに止める権限はない」と迫ってきた。取締役会での決議事項は米国企業の役員にとって絶対命令であり従わないとクビになるからだ。ならばと孫社長などに連絡して臨時の取締役会を開いてもらい、決議を見直した。

米国カンザス州にあるスプリント本社(下)。社員食堂の寿司「4G巻き」(約7.5ドル)は通信会社ならではのメニューだ
米国カンザス州にあるスプリント本社(下)。社員食堂の寿司「4G巻き」(約7.5ドル)は通信会社ならではのメニューだ
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ビッグデータを活用、一部都市で首位に

 少しずつだが流れが変わり始めた。それでも詳細な情報は出してもらえなかった。宮川氏は結果を出すしかないと考え、日本から信頼する技術者を呼び寄せて通信網の刷新計画に取り掛かった。

 日本のソフトバンクで通信網を改善した経験を基に、通信エリアを効率よく広げる仕組みと、大量のアクセスをさばく仕組みを両立させる設計を採用。経営難から投資できる予算が少なかったため、最新技術を積極的に採用して効率的な通信網を整えていった。

 宮川氏は通信網の改善に当たって、日本で培ったビッグデータ分析の技術を活用した。

 米国はダウンタウンや高級住宅街などエリアによって所得格差が大きい。後払い式(ポストペイド)のスマートフォンを契約したのに請求時に料金を支払えない人が多い地域もある。そこで滞納率が低い優良顧客の集まるエリア、つまり収入につながりやすい地域の設備投資を優先していった。

 複数の周波数帯の電波を束ねて通信速度を上げる「キャリアアグリゲーション」のほか「ビームフォーミング」とよぶ新技術も投入した。ビームフォーミングは電波を一つの方向に集中させ、スマホを「狙い撃ち」して送る技術だ。従来型の基地局ではカバーできない距離にも電波が届く。スウェーデンの通信機器大手エリクソンやフィンランドのノキア、韓国のサムスン電子といった世界の大手と開発した。

 電波が遠くまで届きやすい周波数帯と高速通信に向く周波数帯を使い分けるなどの工夫も凝らした。すると2015年夏ごろから通信品質が改善。外部の調査会社による通信品質の調査結果にも成果が表れた。一部の都市では通信速度が競合4社中首位となった。通信網の改善チームを地域別に編成し、競争させることで全体の品質を高める取り組みの成果でもあった。

 このころ、土曜日や日曜日になると本社近くの食品スーパーには酒を大量に買い込む宮川氏の姿があった。日本からの赴任者が増えたため、宮川氏は会社から車で5分ほどのところにある自宅に泊めて、酒を酌み交わしながら改善策について話し合った。

 改善の成果が出始めると米国の技術者たちの対応も変わっていった。宮川氏と同様に米国外の通信会社での経験を買われてスプリントに合流してきた技術最高執行責任者(TCOO)のギュンター・オッテンドルファー氏は、宮川氏について「日本のソフトバンクの先進的な取り組みを教えてもらい参考になった」と話す。ニューヨークやシカゴなど人口が密集する大都市での通信改善に特に役立ったという。

 次第に米国の技術者たちも宮川氏の自宅に集まるようになる。宮川氏は任天堂のゲーム機「Wii」をスピーカーにつなげて即席のカラオケルームを提供したり、マージャン台を持ち込んだりしてみんなで楽しんだ。

図 日本で通信品質をビッグデータ分析した例
国内で培った技術を米国へ展開
図 日本で通信品質をビッグデータ分析した例
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ケチケチ大作戦で年2000億円削減

 通信網の改善と並行して、「じゃぶじゃぶだった」(孫正義社長)高コスト体質を見直すプロジェクトに取り掛かった。金額にして年2000億円規模の大々的な取り組みである。主導したのはスプリントのマルセロ・クラウレ最高経営責任者(CEO)だ。身長2メートル超の大男だが、見た目の豪快さとは対照的に緻密なコスト削減計画を立て、地道に進めていった。1000以上の削減項目を洗い出し、毎週火曜日に朝から夜まで14時間がかりで達成度を確認していった。

米スプリントのマルセロ・クラウレCEO(最高経営責任者)
米スプリントのマルセロ・クラウレCEO(最高経営責任者)

 例えば米カンザス州郊外にある本社オフィスでは、ある時から無料で配られていた菓子や飲料が消えた。清掃員を辞めさせたため、夕方の終業時刻を迎えると社員がごみ箱を抱えて捨てに行く姿が見られた。

 人員削減にも取り組んだ。マーケティング部門は1500人から2016年時点で500人に減り、100人いた広報部門は20人と2割に縮小した。コールセンターや技術部門などを含め聖域なく取り組んだ。

1万5000超の料金プランを10以下に

 少人数でも業務が回せるようにクラウレCEOは業務ルールや仕事のやり方を全面的に見直した。

 例えばスマートフォンの料金プラン。以前は1万5000以上の組み合わせがあり、混乱する顧客が多かった。コールセンターには様々な質問が舞い込み、対応に手間がかかった。

 そこで料金プランを全面的に見直し、主力プランを10種類以下に減らした。結果的に問い合わせの電話は減り、オペレーターを無理なく削減できた。関連コストは下がった。顧客への説明が簡単になり、携帯電話の販売店での接客時間も半分ほどになった。店員を増やさずに待ち時間を縮め、顧客サービスを向上できた。

 コスト削減と通信網の改善によって戦うための体制を整えたクラウレCEOは、いよいよ新規顧客の獲得に向けた攻めの営業改革に乗り出した。2016年のことだ。

 「いらっしゃいませ」。米カンザス州にあるスプリントの携帯電話販売店では客が駐車場から店に近づくと店員がドアを開けて笑顔で声をかける。店内では菓子や飲料を無料でふるまい、ふかふかのソファでもてなす。

 スプリントは2016年から全米を18地域に分けて地域別に責任者の「リージョナルプレジデント」を任命。責任者は担当地域の客層を見極め、ニーズに合った店づくりときめ細かい営業活動を展開した。

 例えばカンザス州最大規模のショッピングモール「オークパークモール」の向かいのロードサイト店では、1月に外装を改装して店名などを大きく表示。モール客の“ついで買い”を誘う手に出た。この店は客の3割がヒスパニック系。すぐ近くにある別の店の6倍という。そこでスペイン語が話せるバイリンガル店員を2人配置した。すると携帯電話の契約数が5割以上増えた。

 カンザス州とミズーリ州の責任者を任されたスプリントのティム・ドナヒュー氏は「店ごとに店長と話し合いならがきめ細かい売り場をつくっている」と話す。

カンザス州とミズーリ州の責任者を任された米スプリントのティム・ドナヒュー氏
カンザス州とミズーリ州の責任者を任された米スプリントのティム・ドナヒュー氏
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地域間で競争促し、社員のやる気を向上

 クラウレCEOが地域別の営業体制を組んだ狙いは、きめ細かいサービスのほかにもう一つあった。地域間で競争を促して社員のやる気を一段と高めることだ。「あの地域には負けたくない」という競争意識がスプリント全体の営業力の底上げにつながっていく。

 2015年末時点でスプリントの通信網の品質は競合を上回る地域が増え、料金面でも負けてはいなかった。にもかかわらず、顧客の獲得数が期待したほど伸びない時期があった。反対に競合のTモバイルUSは通信速度が劣るのに契約を伸ばしていた。

 市場調査の結果、改善の成果が顧客に伝わっていないというマーケティング面での課題が浮き彫りになった。そこで米アップルの「iPhone」を安く使えるプログラムや半額キャンペーンなど大胆なキャンペーンを投入。巻き返しを図った。サービス品質の向上とコスト削減、営業強化、社員のやる気の引き上げ。様々な面からの地道な積み重ねが実を結び、スプリントの業績は回復した。

2017年度に最終黒字化なるか

 孫社長はスプリントの再建に向けて自ら同社のチーフネットワークオフィサー(CNO)に就き、夜10時から深夜まで毎日のように電話会議を開いた。技術陣たちと時には「バカヤロー」などと怒鳴り合いながら本音で議論を重ねた。

 ただ孫社長はことあるごとに「マルセロ(クラウレCEO)の部下として活動している」と強調していた。自ら議論に参加したのは技術に強くないクラウレCEOをサポートする目的に加えて、現地に送り込んだ宮川氏を援護射撃するためでもある。「部下として」という言葉は、再建を任せたクラウレCEOの立場を尊重しての配慮でもあった。

 2016年に入ると深夜の電話会議は週2回ほどに減り、5月に発表した2015年度の決算は営業利益が約3億ドル(約340億円)と9年ぶりの営業黒字となった。

 その1年後の2017年5月、スプリントは2016年度の決算を発表した。結果は約18億ドル(約2000億円)の営業黒字。黒字幅は2015年度から1600億円以上増え、V字回復を果たした。2016年度の最終損益は約12億ドル(約1400億円)の赤字と赤字額が2015年度よりも4割減った。

 次の課題は最終黒字化だ。2017年5月10日の決算説明会で孫社長に尋ねると「過去に発行した社債で金利が非常に高いものがありその分が圧迫しているが、最近の社債の金利が下がった」と述べ、金利の負担が次第に減っていく見通しを述べた。最終黒字化は「時間の問題だ」と自信を見せつつも、「いつかはコメントを控える」とかわした。

 最終黒字化に向けて通信網のさらなる強化を進める。秘密兵器は「HPUE(ハイパワー・ユーザー・エクイップメント)」と呼ぶ新技術の導入だ。電波の出力を引き上げて一段と遠くまで飛ばし、通信速度の引き上げや接続の改善が期待できる。現行のLTE/LTEAdvancedの後継となる第5世代移動通信システム(5G)でも手を打つ。2017年5月10日にソフトバンクグループとスプリント、米半導体大手クアルコム・テクノロジーズの3社で5G関連の技術を共同開発すると発表した。

買収か売却か、問われる次の一手

 業績の行方と並行して注目を集めるのが、ソフトバンクグループがスプリントを売却するのか、あるいは競合を買収するのかといった今後の動きだ。

 米国では規制緩和を掲げるトランプ政権が誕生したことから、ソフトバンクが改めて米TモバイルUSの買収に乗り出す可能性が出てきている。競合と統合させて米2強に改めて挑むシナリオだ。反対にスプリントの経営権の譲渡を検討しているとの報道もある。

 TモバイルUSを買うのか、あるいはスプリントを売るのか――。スプリントの業績が回復したからこそ、孫社長が取り得る選択肢が増えたことは間違いない。

タブーなしで全部検討
孫 正義 氏
ソフトバンクグループ 社長
写真:新関 雅士
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 ソフトバンクグループの営業利益と純利益は2016年度通年でともに1兆円を超えた。営業利益が1兆円になるまで、NTTグループは118年、トヨタ自動車は65年かかった。ソフトバンクは36年。日本企業では3社目だ。

 ソフトバンクは業績予想を出していないが、2017年度も確実に1兆円を突破する。2016年度よりも増益になる。国内通信事業と米スプリントがともに順調に伸びているからだ。

 スプリントはソフトバンクグループの成長のけん引役だ。後払い式携帯電話の契約者の純増数は前年の2倍に増えた。解約率もスプリント史上最も低く、売り上げは反転した。

 コストは2年で34億ドル、4000億円弱を削減した。営業利益は6倍に増え、約2000億円の黒字になった。「借金を返済できないのでは」「お金が足りないのでは」と市場から心配されたが、返済額に対して現金を持ち過ぎているぐらいだ。CFO(最高財務責任者)には、社債をもっと買い戻したらどうかと話している。

 携帯電話事業で大事なのは通信ネットワークだ。買収直後はぼろぼろでつながらない状態だったが、2016年下期にはついに音声パフォーマンスで全米ナンバー2になった。大都市圏では1位となった。これからさらに改善していく。

 データ通信も良くなる。2.5GHz帯など豊富な周波数帯域と、技術革新の道具を持っているからだ。今までは屋内に電波が浸透しない問題があった。そこで新技術の「HPUE」を提唱し業界で認められた。

 中国のチャイナモバイルや米アップル、韓国サムスン電子、中国のファーウェイ(華為技術)などに新しいスタンダートにしようと呼びかけた。実現すれば端末から強い電波が吹けるようになり、基地局への到達距離が伸びる。

 これから数百万台のスモールセル基地局を作る。次世代の移動通信システム5Gの前哨戦だ。世界に先駆けて2019年にスプリントが5Gを実現できるだろう。

 業界再編がいろいろと米国で話題になっている。新政権は少なくとも前政権よりも開かれた気持ちで、業界再編について話を聞くと私は聞いている。

 前政権は聞く耳を持っておらず、ビジネスが非常にやりにくい国だった。大変不満に思ってやる気をなくした。新政権は規制で国を動かすのではなく、開かれた国としてビジネスを活発にやれるようにとの方針を打ち出している。いろいろな可能性があり得ると受け止めている。

 4月末に電波のオークションがあったので事業者同士は会話してはならなかった。やっとオークションが終わり、これから開かれた心で様々な可能性についてタブーなしに全部検討する。

 (交渉相手として)一番の本命、シナジーがすぐ出るのは最初に(統合の)思いを持っていたTモバイルUSだ。真摯に心を開いて交渉に入っていきたいが、当然相手があり、いろいろな条件がある。

 ほかにも業界再編につながるチャンスがあるなら、オープンマインドで検討する。これから積極的に話し合いを始めていきたい。

(2017年5月10日の決算説明会の発言を基に構成した)