財務会計システムに蓄積したデータを基に、企業が補助金を一括申請できる。スマートフォンの子育て支援アプリを使って、住民が児童手当てなど各種申請ができる──。政府は、このようなユーザー本位の電子行政サービス実現に向けて動き出した。だが、そこには大きな「壁」が立ちはだかる。各省庁間、政府-自治体間、各自治体間にそびえる組織の壁だ。今度こそ壁を乗り越えて、行政サービスとビジネスの両面でデータ活用の先進国へと飛躍できるか。実現への道筋を探る。

 システム保守費などのコスト削減に比重が置かれた2001年以来の電子行政の方針を大きく転換。ユーザーの使いやすさを重視し、住民や企業が潜在的に抱える課題の解決を主軸に業務プロセス改革を進める――。

 以上が、国や自治体の電子行政サービスの新戦略「新たな電子行政の方針」の趣旨である。政府のIT総合戦略本部に設置された電子行政分科会が2017年2月に公開した。

 新たな戦略の目的は、「ユーザーにとって付加価値の高い行政サービスをITで作ること」(内閣官房IT総合戦略室)である。

 手段の一例として、住民や企業が提出した申請書データを、国や自治体など異なる行政組織や部署間で共有し、再度提出を求めない「ワンスオンリー」などを実現。将来はAPI(アプリケーション・プログラミング・インタフェース)で民間サービスともデータ連携する。

 APIによる連携は、FinTechベンチャーが銀行のAPIを利用して、アプリで口座残高の照会や振り込みなどができる仕組みに似ている。国や自治体が、行政のオープンデータから住民情報までAPIで利用しやすくするほか、企業が行政サービスと連携して新たなビジネスを展開できるようにする(図1)。

図1「新たな電子行政の考え方」の構想
利用者中心の行政サービスに転換へ
図1「新たな電子行政の考え方」の構想
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一部自治体は「利便性重視」を先取り

 住民のニーズを先取りする形で一部の自治体は、新たな電子行政が目的とする「使いやすさ重視」の施策を始めている。

 千葉県船橋市は大日本印刷と組み、マイナンバーカードのICチップに記録された氏名など基本4情報を、転入届に自動入力できるシステムを国内で初めて導入した(写真1)。船橋市役所 市民生活部 戸籍住民課の中川茜氏は「記入の手間やミスがなくなった。初めてカードを使った市民が、持ってて良かった、便利だと言ってくれた」と手応えを語る。

写真1 千葉県船橋市戸籍住民課の「申請書作成支援システム」
マイナンバーカードで氏名、住所などを記入不要に
写真1 千葉県船橋市戸籍住民課の「申請書作成支援システム」
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 住民のニーズが強い子育て関連の行政サービス情報を発信するため、独自の子育て支援アプリを住民に提供する自治体も増えている。ユーザーが住んでいる地域や子どもの年齢などを入力するだけで、予防接種の予定などをプッシュ通知で知らせてくれる(写真2)。

写真2 電算が開発した新潟県妙高市の結婚・子育て支援アプリ「えむぷら」画面例
自治体は独自に行政サービスをアプリ化(写真提供:電算)
写真2 電算が開発した新潟県妙高市の結婚・子育て支援アプリ「えむぷら」画面例
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 いずれも住民本位の取り組みと言えるが、住民一人ひとりのニーズを満たすには限界がある。住民情報を扱う自治体のシステムと連携せずに実施した施策だからだ。

 新たな電子行政では、よりニーズに即した機能を提供できるよう、例えば「複数の組織にまたがる子育て関連サービスを一括申請できるサービス」といった形で、異なる行政システムの間でデータ連携を進める。こうした手法が広まれば、一人ひとりの住民や個別企業にとって使いやすい行政サービスが広がる機運が高まりそうだ。

 自治体の住民情報を扱う基幹システムを手がけるベンダーも、新たな電子行政の方針に合わせて、データを連携させたサービスの開発に乗り出す。自治体基幹システムの導入自治体数の約3割を占める富士通は「APIで金融、ヘルスケアのデータを掛け合わせて、どのような個人向けサービスができるか検討している」(公共・地域営業グループ デジタルビジネス戦略推進統括部 官庁・地域次世代ビジネス推進部の岩崎孝一部長)という。

 しかし、こうした期待と同時に、自治体やITベンダー関係者には「また掛け声倒れに終わるのでは」という危惧もある。近年の自治体クラウドやマイナンバー制度といった電子行政改革を妨げてきた「壁」をいまだに乗り越えられていないからだ。

検証されなかった過去の失敗

 「情報ネットワークを通じて省庁横断的、国・地方一体的に情報を瞬時に共有・活用する新たな行政を実現する」。

 これは政府が2001年1月に打ち出したe-Japan戦略で、電子政府の実現と題した基本的考え方に盛り込まれた文言だ。

 政府は、e-Japan戦略から現在の「世界最先端IT国家創造宣言」に至るまで、IT活用をうたった看板を何度も書き換えてきた(図2)。だが、いずれも期待通りの成功を収めたとは言い難い。

図2 政府が公表したIT戦略
次々と繰り出された電子行政構想
図2 政府が公表したIT戦略
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 改革の産物の中には、今や使われなくって久しい成果物もある。一例が「自治体EA(エンタープライズアーキテクチャー)」だ。

 自治体EAとは、2004年に総務省が電子自治体のシステム構築の手法として導入した業務・システムの最適化を図る設計手法。一部の自治体をモデルに導入が図られたが、自治体やベンダー関係者は「抽象的でベンダーも自治体も面従腹背だった」と明かす。推進を図る総務省と自治体との温度差が埋まることはなかった。こうした過去の政策に対する検証も不十分なままだ。

電子行政を阻む三つの壁

 取材を基にまとめれば、過去の改革が失敗した要因は、三つの「壁」にある。「国と自治体のコミュニケーション不足」「行政組織の縦割り」「自治体間の違い」だ。

 近年の電子行政施策でも、三つの壁が顕在化した。まず「国と自治体のコミュニケーション不足」が原因で、マイナンバー制度に基づく政府や自治体間の情報連携の計画に、遅れが生じる見通しになった。

 マイナンバー制度は2017年7月に、国や自治体の間で国内に住む全ての人の住民情報や所得情報などの情報連携を始める予定だ。情報連携が進めば、住民票や所得証明書が不要になり、児童手当ての申請といった行政手続きが簡素化できると見込まれている。

 自治体関係者によると、2017年7月時点で情報連携ができないとみられる事務処理が残る。国が整備した「データ標準レイアウト」と呼ばれる情報連携のためのデータ項目が不完全なことが明らかになり、自治体によるシステム改修が必要になったためだ。

 例えば児童手当てを支給するには、同じ世帯の支給対象児童数といったデータ項目がそろっていなければ情報連携できない。データ項目が足りないと、自治体や住民は従来通り住民票など紙による事務処理を強いられる。

 データ標準レイアウトの不備は、国の担当者が自治体の業務に詳しくなく、自治体との情報交換が不十分だったことが原因だ。マイナンバー制度を担当する内閣官房の向井治紀内閣審議官は「制度を所管する省庁と自治体のパイプが細いことに尽きる」と話す。

行政縦割りが情報共有を妨げる

 「行政組織の縦割り」のため、各省庁の担当部署がバラバラにマイナンバー制度に関する情報提供を行っていることも、実務を担う自治体の混乱に拍車をかけている。

 マイナンバー制度では、内閣官房が「デジタルPMO」というインターネットサイトを開設して各省庁や自治体、ベンダーの担当者らが情報共有できるようにしている。

 ところが複数の自治体職員によると、デジタルPMOには、各省庁が個別に情報を入力しているため、雑多な情報が次々と表示され、使いにくいものになっているという。

 さらに、システム構築の進捗を管理する「Digi-P 総合運用テスト管理サイト」(2017年3月末で閉鎖)や、総務省が独自に構築したサイトなどが乱立、「必要な情報がどこにあるか分からない」(自治体職員)という状態だ。

 自治体関係者が独自にマイナンバー制度に携わる職員の意見をまとめたアンケートには「大量の資料や作業を、担当者が従来の仕事と掛け持ちで読み込んで理解するには膨大な時間を要する」と厳しい声もある。ある自治体の窓口担当部署は、2016年の部署全体の残業時間が前年に比べ倍増したという。

自治体関係者が独自にマイナンバー制度に携わる自治体職員の意見をまとめたアンケート
自治体関係者が独自にマイナンバー制度に携わる自治体職員の意見をまとめたアンケート
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自治体クラウド、システムの集約進まず

 「自治体間の違い」という壁は、多数の自治体のシステムを集約してネットワーク経由でシステムを管理・運用する「自治体クラウド」の普及策にも暗雲をもたらす。

 自治体クラウドの導入を推進している総務省は、現在約800自治体の導入数を2017年度に1000自治体に増やす方針を掲げる。

 しかし実際には複数の自治体がシステムをクラウドに集約するよりも、単独の自治体がクラウドを導入した件数のほうが多い。システムの集約が進まないのは、自治体によって事務処理が千差万別だからだ。

 自治体は自らの権限と責任で地域行政を担い、住民の意思に基づいて行政を行うという原則が憲法で認められている。規模も人口370万人を超える横浜市から、160人あまりの東京都青ヶ島村まで多様だ。

 法律に定められた手続きによって求められる結果は同じでも、組織形態が異なれば業務の流れが異なり、求められる業務システムも違う。所得証明書などの帳票の書式や、自治体独自の政策によっても、システムで扱うデータ項目に違いがある。

「自治体CIO組織」が必要

 三つの壁のうち「行政組織の縦割り」については、政府CIO組織が解消に向けて動き出している。新たな電子行政の方針でも、政府CIOが政府全体のITガバナンスを担い、一つの行政機関では困難な改革を進めるとする。政府CIOが縦割り行政の横串を担うわけだ。

 ただ、自治体にかかわる「国と自治体のコミュニケーション不足」「自治体間の違い」という二つの壁について、新戦略に具体的な解決策は示されてない。

 壁を克服する手立てとして自治体関係者やベンダーが異口同音に指摘するのは、「自治体を立場を代弁し、かつ自治体のシステムについて指導するCIO(最高情報責任者)の機能も担う組織を作るべきだ」というものだ。

 元佐賀県CIOでオープンデータ活用に詳しい川島宏一・筑波大学教授は「自治体CIOのネットワーク組織が、国に建設的な逆提案をできるようになるべきだ」と語る。

 ベンダー関係者は「地方公共団体情報システム機構(J-LIS)が、市町村を指導したり中央省庁にも意見を出したりできるような能力を持つ必要がある」と話す。

 いずれの意見も、自治体が連携して自治体のITガバナンスを担う単一の「自治体CIO組織」を作り、国と自治体、自治体間の壁を乗り越える役割を果たすことを求めるものだ。ユーザーに近い自治体が主導すれば、利用者中心の電子行政につながる(図3)。

図3 電子行政をけん引する国と自治体の在り方
CIOが利用者視点で行政縦割りを排除
図3 電子行政をけん引する国と自治体の在り方
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国が果たすべき役割とは

 異なる自治体間や企業の間でデータ連携するには、自治体の業務やデータの標準化が不可欠だ。自治体間の壁を越えるのは一義的には自治体CIO組織の役割だが、国も三つの役割を果たす必要がある。

 一つは、自治体ごとにばらつきがある個人情報保護ルールを一本化し、官民でデータの流通を促進することだ。

 流通促進のエンジン役と期待されるのが、2016年12月に成立した官民データ活用推進基本法だ。個人情報法制に詳しい鈴木正朝・新潟大学教授は、同法について「自治体ごとに異なる個人情報保護ルールの解消を求めるものだ」と話す。政府がこの役割を果たし、国や自治体、企業が相互にデータを活用できるようになれば、新たなビジネスを生み出せるだけでなく、少子高齢化社会に向けて社会全体を効率化できる(図4)。

図4 官民データ活用推進基本法の背景
少子高齢化に対応するにはデータによる効率化が不可欠
図4 官民データ活用推進基本法の背景
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 二つめは、自治体が共通して使えるプラットフォームを国が活用して、国と自治体のコミュニケーション不足や、自治体間の壁を乗り越えやすい環境を整えることだ。

 経済産業省と情報処理推進機構(IPA)が整備した「共通語彙基盤」は、共通プラットフォームの好例だ。行政に関わる単語の表記・意味・データ構造を統一するもので、システム開発の際に共通語彙基盤を使えば、異なるシステム間でデータ連携がしやすくなる。

 総務省が整備した「自治体公共クラウド」も活用できる。自治体が自治体公共クラウドを利用すれば、自治体の庁内LANを相互接続したLGWAN(総合行政ネットワーク)を通じてデータをアップロードするだけで、API経由でオープンデータを提供できる。独自にWebサイトを用意する必要はない。

 現在は一部の自治体が観光情報のオープンデータを提供している。そのオープンデータを使って山形巧哉・北海道森町役場総務課情報管理係長らは、スマホの位置情報に合わせて複数の自治体の観光案内をシームレスに提供できるWebアプリを開発した(写真3)。

写真3 自治体向け「公共クラウド」のWeb画面(左)と、公共クラウドを活用したモバイル端末アプリ「AKIJIKAN」の画面(右)
国や自治体間の情報共有への応用も可能(出所:総務省(画面左)、ハウモリ(画面右))
写真3 自治体向け「公共クラウド」のWeb画面(左)と、公共クラウドを活用したモバイル端末アプリ「AKIJIKAN」の画面(右)
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 自治体公共クラウドは、自治体間の壁を取り払うだけでなく、国と自治体間のコミュニケーション円滑化にも応用できる。北海道森町役場の山形係長は「自治体から国への報告業務を自治体公共クラウドで行えば、誰もがオープンデータとしても利用できるようになって業務負担が減る」と話す。

 自治体に求められているのは、質の高いデータを作って、ほかのシステムと連携しやすくすることだ。デジタルPMOなどの例のように各省庁がバラバラに情報のやりとりをするのではなく、オープンデータを前提にしたプラットフォームを活用すれば、業務プロセス改革にもつながるというわけだ。

 三つめは、自治体の通知や証明書類といった帳票の統一だ。帳票のデータフォーマットが同一になれば、自治体間で業務連携やデータ連携をしやすくなるほか、民間企業もAPIを通じた連携サービスを開発しやすくなる。「パッケージソフトをカスタマイズする件数の9割の費用を削減できる」(ベンダー関係者)という指摘もある。浮いた予算は住民本位の電子行政サービスの開発に充てられる。

これが最後のチャンスに

 2017年度はマイナポータルの本格運用も控え、マイナンバー制度の導入は正念場を迎える。電子行政改革を妨げる壁を突破するうえで、国家プロジェクトであるマイナンバー制度の導入は大きな試金石となるだろう。ある自治体職員は「これが最後のチャンス。マイナンバー導入に失敗すれば、もう日本に電子行政は根付かない」と語る。

 データ活用で効率的な社会を築けるか、データ活用後進国にとどまるか。新たな電子行政戦略が、日本の将来にも影響しそうだ。