評価額10億ドルを超える「ユニコーン企業」、フリマアプリのメルカリが世界へ挑んでいる。6000万人利用者を抱えるサービスの要は、ハードの力をソフトで引き出す新たなIT戦略「SRE」だ。「日本発、世界行き」を目指すメルカリの針路を追った。

[画像のクリックで拡大表示]

 メルカリの勢いが止まらない。スマートフォン向けアプリのダウンロード数は日米を合わせて6000万件を超えた(2016年12月時点)。出品物の流通総額は月間100億円に達する。

 決算公告(第4期)によると同社の業績は、売上高が122億5600万円、営業利益が32億8600万円(いずれも日本単体)。売上高営業利益率は26.8%だ。

 2016年3月には三井物産、日本政策投資銀行、投資ファンドのグロービス・キャピタル・パートナーズやWorld Innovation Lab(WiL)などから、総額84億円の資金を調達した。10億円台の資金調達も珍しい中で、異例の規模だ。サービスの使い勝手や普及度合いを左右する様々な企業との協業の輪、いわゆる「エコシステム」も急速に拡大している()。

表 メルカリの最近の動き
エコシステムを急拡大
表 メルカリの最近の動き
[画像のクリックで拡大表示]

米国ファーストを徹底

 メルカリが手掛けるフリマアプリは、中古品や手作り品を消費者同士で売買するフリーマーケット(フリマ)をスマートフォンのアプリで再現したもの。「CtoC」と呼ぶ消費者間で取引するECサービスの代表的な存在だ。若い女性を中心に、支持を広げている。

 同分野の最大手として急成長するメルカリ。次の一手は「世界で使われるサービスを目指す」(山田進太郎社長)ことだ。

 2014年9月に米国でサービスを開始。当初は利用者獲得のため販売手数料を無料にしていたが、2016年10月には販売額の10%という日本と同額の販売手数料の徴収を始め、本格的な事業化に踏み出した。現在は英国でのサービス開始に向けた準備を進めている。

 「優先順位は米国市場が第1位。開発人員も新たに追加する機能も、まず米国を優先する」。こう語るのは伊豫健夫執行役員プロダクトマネージャーだ。米国でのサービス開発や事業展開を率いる。

 米国ファーストの方針は、開発人員の割り当てに顕著だ。350人の従業員のうち、開発人員は4割近い120人余り。その9割が米国向けサービスの開発に従事する(図1)。

図1 メルカリの人員構成
開発体制は米国優先
図1 メルカリの人員構成
[画像のクリックで拡大表示]

 「US優先じゃん?」。同社内で交わされる言葉や社内の“空気”は、米国ファーストで統一されているという。「開発人員を米国に振り向けたために日本側で不足したとしても、二つ返事で米国優先に合意するようになった」(伊豫執行役員)。

 開発するサービスや機能についても米国ファーストを貫く。一例がアプリの使い方を説明する「ヘルプ機能」だ。当初は日米で共通だったが、2016年9月に米国版を刷新。売り手が出品している品物の種類に合わせて、探している回答項目の候補を表示する形式を採用した。当初は回答項目の一覧が並び、各項目を選ぶと詳細項目が順番に表示される、という形式だった。

 多くの項目から自分で探す方式の日本版に替えて、米国版は回答項目の候補を示すシンプルなものにした。「日本人はモバイルアプリに慣れていて、比較的複雑なUI(ユーザーインタフェース)でも使いこなせるが、米国人には好まれない。刷新した結果、問い合わせは2~3割は減った」(伊豫執行役員)。

 将来的には「米国専用のUIを、ゼロベースで開発するという選択肢も排除しない」(同)。現在、メルカリのアプリの中核ソースコードは日米で共通。ワンソースの原則を崩してでも、米国市場を攻略する意思を示す。

安定運用のカギは「SRE」

 事業戦略のキーワードが米国ファーストなら、それを支えるIT戦略のキーワードが「SRE(Site Reliability Engineering)」だ。耳慣れない言葉だが、コーディングやソフトウエアエンジニアリングによって、ハードウエアを含めたシステム全体の性能や可用性、セキュリティを高める方法論を指す。目指すところは、いつでも快適かつ安全な、「信頼できる」サービスの実現にある。

 SREの考え方を最初期に提唱、実践したとされるのは米グーグルだ。2012年に公開したブログで、SREに言及している。米国の大手ネット企業を中心に広がり、メルカリのエンジニアチームの耳にも入るようになった。

 プログラムの中身に手を入れてアプリそのものの可用性を高める、データベース構成やデータ取得方法を見直してトラフィックを抑える、デプロイ(コードの配置作業)やプロビジョニング(資源割り当て)の効率を高めてメンテナンスによるサービス停止を減らす――。求められるスキルや業務は、ハードウエアに関するものだけではない。

 「ハードウエア寄りの業務が多い印象のあるインフラエンジニアに比べて、ソフトウエアエンジニアとしての業務が多い。ユーザー向けの新しいサービスや機能『以外』のシステム開発全般を担う」。メルカリが2015年11月に設けた「SRE」チームを率いる長野雅広プリンシパルエンジニアは、同チームの役割をこう説明する。

アクセス量は数倍、ハード規模は2倍

 現在、メルカリのSREチームは長野氏を含めて6人のエンジニアから成る。組織として形になったのは、メルカリが直面したインフラに関するいくつもの「山」を乗り越えた結果である。

 2015年3月。問題になったのは利用者データの急増だ。数百ギガバイトだったものが、1テラバイト級を超えて増加する兆しを見せ始めた。

 ここで採った施策は「データベース(DB)サーバーのスケールアップとスケールアウトを、ほどよく実行すること」(長野氏)だった。オープンソースソフトウエア(OSS)である「MySQL」のマスターとスレーブを一対とする1系統のみで運用していたDBサーバーを、メインと二つのサブから成る3系統に分割。各系統をマスターとスレーブから成る基本構成とし、個々のサーバー機器も増強した。

 ハードウエア構成と同時にデータ配置も見直す。格納するデータの種類や大きさに応じて、テーブルを各サーバーに配置した。

 サーバー機同士のデータ通信量が急増して輻輳(ふくそう)を起こし、アプリの挙動が極端に鈍くなる事態にも直面した。メルカリは日本向けのシステムを、さくらインターネットが提供する物理サーバーによるホスティングサービスで運用している。

 問題になったのは物理サーバーを格納したラック間のデータ通信だ。原因を探ったところ、利用者がアプリを起動したときなどに表示する商品一覧画面のデータ取得方法に問題があったことが分かった。

 同画面上に表示されるのは、商品の写真と名前、価格のみ。ところが裏側では、商品の説明や分類といった詳細データまで、表示する商品全ての情報を一括して取得していた。これらのデータは個別商品の画面でしか表示しないものだった。

 「データベースから返ってくるデータ量を減らそう。必要なデータだけ取ってくるように」。SQL文などの見直しを実施。データ通信量を半減させ、ハードへの投資を抑えた。

 地道な改善の積み重ねは、メルカリのITインフラを筋肉質に変えていった。「この2年ほどでアクセスは数倍に増えたが、ハードの増強は2倍程度に抑えている」(長野氏)。

日米英でSRE実践へ

 SREチームの現在のミッションは、日本と米国、そしてサービス開始準備を進めている英国をまたいだアーキテクチャー作りである(図2)。基本的なハードウエアやソフトウエアの構成は各国で共通だが、稼働環境は実情に合わせて選んでいる。日本向けはさくらインターネットの物理サーバーによるホスティング。海外は米国がAmazon Web Services(AWS)、2017年にもサービス開始予定の英国はGoogle Cloud Platformと、それぞれクラウドサービスを選んだ。ソフトウエア構成はOSSが中心だ。

図2 メルカリのITインフラ構成と「SREチーム」の位置付け
日米をまたぐシステムをソフトの力で支える
図2 メルカリのITインフラ構成と「SREチーム」の位置付け
[画像のクリックで拡大表示]

 アプリケーションの開発にはマイクロサービスを採用。個別機能と共通機能、それぞれをマイクロサービスとして実装して、コードをデータセンターやクラウドに配置する。

 2015年初めにメルカリに入社した長野氏がそれまで手掛けたのは、国内で動かすシステムのみ。「太平洋をまたいだシステムは今までにない経験だ」(同)。

ライバルがメルカリ包囲網

 世界を目指すメルカリの足下では、ライバルによる包囲網形成が進んでいる(図3)。その一角が、Fablic・楽天連合だ。フリマアプリの元祖を自認するFablicが2016年9月、楽天の完全子会社となり、楽天の「資金力」をテコに巻き返しに乗り出した。

図3 競合他社のメルカリ包囲網
ライバルの動きも活発に
図3 競合他社のメルカリ包囲網
[画像のクリックで拡大表示]

 打ち出した策が、フリマアプリ「FRIL(フリル)」の販売手数料の無料化。Fablicは2016年10月、売り上げの10%分を差し引いていた販売手数料を無料にした。メルカリの販売手数料は10%である。

 「手数料が無料なのは対メルカリの最大の強み。フリマの売り手は、最も儲かる場所で売りたいと考えるからだ」。Fablicの堀井翔太CEO(最高経営責任者)はこう語る。告知CMの効果もあり、10月の出品数は前月比で78%増加。9月の同16%増を大きく上回った。

 ネットオークションの「ヤフオク!」を運営するヤフーも、対メルカリに意欲を燃やす。2016年6月、購入希望者の競りで価格を決める既存のオークション方式に加えて即決価格、つまり定額で出品できるサービス「ワンプライス出品」を始めた。事実上、ヤフオク!上でフリマサービスを始めた格好だ。

 「利用者にとっての入り口のハードルを下げた」。ヤフオク!を担当する梅村雄士執行役員ヤフオク!カンパニー長は、ワンプライス出品の意義をこう説明する。

 米国でもフェイスブックがフリマサービス「マーケットプレイス(Marketplace)」を2016年10月に開始。近くにいる利用者同士が、物品を売買できる。

 包囲網を敷くライバルを前に、メルカリを率いる山田社長は「良いプロダクトを作ることに集中する」と気を引き締める。