写真:Getty Images
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特許庁の基幹系システム刷新プロジェクトが頓挫してから3年。同庁では、刷新プロジェクトをゼロから再始動するため、組織改革を進めてきた。業務システムの開発をITベンダーに依存する体質が根付いた組織から、基幹系システムのユーザーとして開発に自ら責任を持つ組織「強いユーザー」への転換を図る。

 特許庁は2015年3月、基幹系システム刷新計画の全容を公開した。約700億円を投じ、8年がかりでシステムを順次更新する。現システムは運用・保守に年間250億円を費やしており、システムの刷新で費用の3割減を目指すほか、審査業務のスピードや質、利用者の利便性を高める。入札前にアーキテクチャー案を公開し、専門家の意見を募る。

 特許庁はかつて、2006年にシステム刷新を始めた。だが、開発は難航。2012年1月に中止の憂き目にあった。ベンダー依存からの脱却を目指しつつ、組織として開発を主導する体制になっていなかったためだ。

 特許庁は、この失敗に正面から向き合った。過去の反省を基に四つの基本方針を設定し、計画をゼロから組み直した(図1)。いずれも奇をてらったものではなく、「強いユーザー」を目指す上で正攻法といえるものだ。

図1 特許庁基幹系システム刷新プロジェクトの基本方針
「四つの反省」でシステム刷新を成功させる
図1 特許庁基幹系システム刷新プロジェクトの基本方針
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 「前回は組織としての本気度が足りなかった。今回は全庁を挙げてシステム刷新に挑む」。特許庁ナンバー2である特許技監 特許庁CIOの木原美武氏は力を込める。

 同庁の改革は、ベンダー依存の体質から脱却しようと考える多くの企業にとって参考になる。以下、改革の全貌を明らかにする。

職員が自ら業務を可視化

 四つの基本方針のうち、強いユーザー組織への転換に向けて最重要といえるのが、システム調達に不可欠な「現行業務の可視化」を特許庁の責任で実施することだ。

 過去の刷新は、業務の分析でつまずいた。2006年にスタートした刷新プロジェクトで、特許庁は現行業務の分析作業をほとんどITベンダーに任せていた。

 2006年12月にシステムの設計・開発業務を落札した東芝ソリューションは、当初は60人体制で業務を可視化したが、ベンダー自身が特許の業務に詳しくなかったこと、同庁の情報システム室と業務部門(原課)の連携がうまくいかなかったことで、作業が遅れた。

 このため同社は、プロジェクトの体制を2007年3月までに200人、5月までに450人、2008年には1100~1300人体制まで増員した。だが、特許について詳しくない技術者が大挙して参加したことで、混乱に拍車がかかるばかり。製造工程につなげられる成果物を作成できず、プロジェクトは頓挫した。

刷新失敗で業務部門にも危機意識

 今回、業務分析を主に担ったのは、ITベンダーでも情報システム室でもなく、実際にシステムを利用する立場にある業務部門である。過去に業務の電子化に関わったベテラン職員が現場に残っているうちに、ノウハウを形に残したいという意図もあった。

 特許庁は、2012年から2014年まで約3年をかけ、55の業務をUML(統一モデリング言語)で記述した(図2)。記述量は1業務当たり約160ページ、全体で数千ページに及ぶ。

図2 業務部門と情報システム室を中心に作成した、システム調達に必要なドキュメントの一例
特許庁職員が業務フローやデータモデルを「内製」
図2 業務部門と情報システム室を中心に作成した、システム調達に必要なドキュメントの一例
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 業務プロセスの可視化に当たっては、業務部門の管理職がプロジェクトマネージャー役を担った。可視化の過程で明らかにムダと分かる業務があれば、情報システム室と相談の上、業務自体を修正した。

 業務部門が業務プロセスの可視化を進める中、システム刷新の実務を担う情報システム室は、システム設計の根幹といえるデータモデルを作成した。ここでもITベンダーに頼らず、専門家の助言を得ながら自ら作成した。システム全体のデータモデルは、A3用紙20枚をつないだ大型紙いっぱいに及んだ。

 業務分析とデータモデリング。特許庁は、業務システムの根幹である二つの上流工程を自ら実施する「内製力」を高めることで、システム刷新への下準備を整えた。

入札方式を技術重視に

 技術に優れたベンダーを選定できるよう入札方式も変えた。

 落札ベンダーを決める評価点の割合について、過去のプロジェクトでは技術点1:価格点1だったのを、技術点3:価格点1に切り替える。技術点の割合を引き上げることで、「安かろう悪かろう」の落札を防ぐ。

 だが、これだけでは十分とはいえない。実際、過去に落札したITベンダーは、技術点は最低だったものの、極端に安値で入札したため、今回の配分でも落札できていた。

 是正に向けて特許庁は、技術評価を相対評価にすることで点数にメリハリをつけるほか、1位のベンダーに評価点を重点配分することにした。評価に当たっては、プロジェクトマネージャーによるプレゼンテーションを義務づける。

 入札のために特許庁が準備する調達仕様書は、これまでに作成した業務分析やデータモデルを基に、システム要件の精度を高める。「システム調達の段階で、基本設計の中途まで既に実施しているイメージ」(特許庁 総務課情報技術調査官の安久司郎氏)。データモデルの分析を基にシステムを複数のサブシステムに分け、サブシステムごとに設計から開発、テストを一括発注する。

開発の難易度を引き下げ

 計画や設計を工夫して、開発の難易度を引き下げたのも再起動後の特徴だ。

 今回のシステム刷新は今後8年をかけ、大きく3段階に分けて実施する(図1)。刷新の途中で新旧システムが混在することになる。同庁はシステム連携基盤のESB(エンタープライズ・サービス・バス)を通じ、新旧システムの仕様上のギャップを吸収する考えだ。

 過去のプロジェクトでは、全てのシステムやデータベースを、一斉に新システムに切り替える計画だった(図3)。このためシステム構築の規模が肥大化し、プロジェクトの管理が難しくなっていた。

図3 過去プロジェクトと比較した刷新方式の違い
段階的な刷新でプロジェクトの難易度を下げる
図3 過去プロジェクトと比較した刷新方式の違い
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 出願特許などのドキュメントを管理する共通データベースも、システムの刷新に合わせて随時刷新する。共通データベースに全データを集約するのではなく、仕掛かり中の文書ファイルを保存する個別データベースをサブシステムごとに設ける。

 特許庁はシステム刷新に先駆けて、メインフレームのオープン化を2015年1月に完了させている。このオープンシステムが、共通データベースの母体になる見通しだ。

 メインフレームを廃棄した結果、データベース管理システムは、独ソフトウェアAGが開発したADABASから、SQLを実装した一般的なデータベースに移行。バッチ処理を行うCOBOLコードは、大半をそのままUNIXサーバーに移植(マイグレーション)した。今後、サブシステムを開発/稼働させるたびに、過去のコードを廃棄する。

実績あるアーキテクチャーを採用

 特許庁は、システムアーキテクチャーの面でも開発の難易度を引き下げた。

 かつてプロジェクトが失敗した要因の一つに、採用したアーキテクチャーの難易度が高かったことがあった。「XMLで全ての業務を管理する」という理想を掲げる一方、実績ある開発手法も、開発ツールもなかった。現場の業務プロセスも、このアーキテクチャーに合わせて書き換える必要があった。

 特許庁は今回、既に開発ツールや開発の方法論が存在し、特定ベンダーに偏らないアーキテクチャーの採用にこだわった。

 この結果、2015年3月までに固まったのが、SOA(サービス指向アーキテクチャー)に基づき、BPM(ビジネスプロセス管理)ツールを中核に構成したアーキテクチャーである。設計補助はNTTデータが担当した。

 同庁が採用を検討するアーキテクチャーは、データベース層からUI層までの6層からなる(図4)。システムの中核を構成するのが、BPMS(ビジネスプロセス管理システム)やBRMS(ビジネスルール管理システム)といったBPMツール群だ。

図4 6層からなる新システムのアーキテクチャー
BPMツール(BPMS/BRMS)を主軸にシステムを構築する
図4 6層からなる新システムのアーキテクチャー
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 出願受付や審査、登録に至る業務プロセスを、ビジネスプロセス記述の国際標準である「BPMN 2.0」で記述。これをBPMツールに入力することで、同庁の業務プロセスに基づくシステムを構築できるようにする。法改正などで業務の流れが変わっても、BPMNで記述した業務プロセスを改訂すれば即座にシステムに反映できる。特許庁は今後、業務を可視化したUMLを、BPMN 2.0に置き換える作業を始める考えだ。

 BPMツールは日本ではポピュラーな存在とはいえないが、カシオ計算機やリクルートで採用実績がある。海外では、米国防総省が業務プロセス可視化の標準としてBPMNを採用し、業務改革に生かしている。

 これらの実績があるとはいえ、BPMツールを大規模システムに導入する難易度は低くない。特許庁の複雑な業務にBPMツールを適用できるかが、システム刷新の成否のカギを握ることになりそうだ。「特許庁の業務には、BPMNには落とし込めない例外処理もある。BPMツールが使える処理、使えない処理を見極めながら設計する」(特許庁CIOの木原氏)。

長官をトップとする推進体制

 過去の失敗の反省から長官をトップとするオール特許庁のプロジェクト推進体制と、民間有識者による監査体制を採ったのもこれまでの特許庁の方針とは違う。

 特許庁はプロジェクト再開に当たり、特許庁長官を本部長、特許庁CIO(特許技監)を本部長代理とする「特許庁情報化推進本部」を設置した(図5)。この組織が、情報システムの設計に当たって経営判断レベルの意思決定を担うほか、必要な予算・人員の確保、進捗報告の評価といった機能を持つ。

図5 特許庁のプロジェクト推進体制
特許庁長官をトップに、オール特許庁でプロジェクトに挑む(写真左上:陶山 勉)
図5 特許庁のプロジェクト推進体制
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 実際のプロジェクト管理は特許庁PMOが担う。情報システム室、総務課、外部の専門家など約20人強(専任7人)で構成する。加えて「外部の目」として、民間有識者からなる技術検証委員会が進捗を監査する。

 過去のプロジェクトではアクセンチュアに委託していたベンダー管理業務は、今回は特許庁自らが担当する。各サブシステムの開発に参加する複数のITベンダーをとりまとめ、それらのサブシステムを接続、統合する作業を、特許庁の責任で実施する。「特許庁CIO補佐官の体制を拡充するなど、外部専門家の力を借りながら、特許庁として統合をやり切る」(木原氏)考えだ。

 過去のプロジェクトでは、約100人を擁する情報システム室のうち、刷新に参加していたのは20人ほど、多い時期でも40人ほど。残りの職員は現行システムの運用に専念しており、両チーム間のやり取りは少なかった。今回のプロジェクトでは、新システムと現行システムとが混在することから、情報システム室職員の大半が刷新に関わることになる。

 特許庁長官をトップとする意思決定組織、外部の専門家を加えたプロジェクト管理体制、第三者による監査と、プロジェクト推進に必要な体制はそろった。あまりに手痛い過去の失敗を教訓に、特許庁は8年がかりのシステム刷新に挑む。

もう一つの反省、政府のITガバナンス改革

 過去の特許庁システム刷新失敗をめぐる反省は、先に挙げた四つのほかに、もう一つある。ITガバナンスが省庁ごとに独立しており、政府全体で統制できていなかった点だ。このため、計画の妥当性や進捗について十分にチェックできなかった。こうした反省から2013年、日本政府CIO(内閣情報通信政策監)と内閣官房 情報通信技術(IT)総合戦略室を中核としたITガバナンス体制がスタートした。

 同室が運営する政府IT投資の情報公開サイト「ITダッシュボード」は、この新体制を象徴する存在だ(図A)。2014年7月にサイトを開設し、今も公開データを順次増やしている。

図A ITダッシュボードが提供する指標やグラフの一例
政府システムの“ありのまま”を可視化する
図A ITダッシュボードが提供する指標やグラフの一例
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 ITダッシュボードを担当するIT総合戦略室 参事官補佐の大西一禎氏に「政府によるITガバナンス」の変化を聞いた。

政府CIO制度発足後の変化は。

 遠藤紘一CIOを中心に、省庁横断でIT投資を統制する形へと変わった。例えば投資管理では、省庁ごとに投資額や効果について計画を作成し、予算段階でチェックする。

 最近では、年金記録管理システムの刷新も始まった。同システムのオープン化プロジェクトは、長らく停止状態が続いていた。遠藤CIOは、1年をかけて厚生労働省の担当者と計画再開へ話を進め、2014年6月に新たな刷新計画の策定にこぎつけた。サービスの質を高めながら運用経費を4割以上減らすことを目指す。計画の進捗についてもモニタリングする。

 さらに政府のIT投資の透明性を高めるため、ITダッシュボードを公開した。国民に分かりやすく我々の活動を見て、評価してもらうという、従来の役人が一番嫌がることに正面から取り組もうというものだ。

公開しているデータの項目は。

 最初に公開したのが、政府が保有するシステムの数の削減を目指すロードマップだ。約1500ある情報システムを統合・廃止し、数を半減する計画について、実績値と比較できるような形で公開した。

 合わせて、政府のIT戦略の状況も公開した。医療、教育、ITS(高度道路交通システム)といった各省庁のIT戦略の進捗をKPI(業績評価指標)でモニタリングし、「晴れ」「雨」など分かりやすい形で見える化した。

 2015年2月には、大規模システムを中心に、ITベンダーへのお金の流れが分かる仕組みをITダッシュボードに実装した。行政事業レビューのデータを基に、国民の関心が高いと思われる年間運用費50億円以上の巨大システムについて、ITベンダーへのお金の流れを公開したものだ。

 これまで公開した投資計画(Plan)に加え、執行段階(Do)でどのようにお金が使われているか、どんな成果が出ているか(Check)を載せていきたい。今は年間運用費50億円以上の大規模システムを中心にしているが、より対象範囲を広げることも検討する。