IT分野のカンファレンスやプライベートショーの事務局管理や運営を担う「ウィズグループ」の代表・奥田浩美さんは25年間、IT業界の最前線を見守り続けてきた。米シリコンバレーの技術や製品を、大規模なカンファレンスの企画・運営を通して次々と日本に広めるだけでなく、起業家として数々の新規事業を立ち上げ、多くのスタートアップ企業のサポートもする。ついた異名が「IT業界の女帝」だ。

 そんな奥田さんが、2013年に設立した「たからのやま」は、東京から遠く離れた徳島県美波町にある小さな企業。美波町は人口の過半数が65歳以上の高齢者という限界集落を有する町で、高齢者向けにIT関連のサポートを行うという異色の企業だ。たからのやまには、奥田さんが生涯のビジョンとして掲げる「ITで人を幸せにする」を形にするための数々の戦略が詰まっている。

 最近、著書『会社を辞めないという選択 会社員として戦略的に生きていく』を上梓した奥田さんに、たからのやまにかける思いを聞いた。

(聞き手は成田 真理=ライター)


東京を中心に活動してきた奥田さんが、徳島県美波町で「たからのやま」を設立した理由を教えてください

写真●ウィズグループ代表・奥田浩美さん(写真/竹井俊晴)
写真●ウィズグループ代表・奥田浩美さん(写真/竹井俊晴)
鹿児島生まれ。インド国立ボンベイ大学(現州立ムンバイ大学)大学院社会福祉修士修了。ITの台頭と共に海外より進出してきた、大型のプライベートショーを受注し、数多くのイベントの日本への上陸をサポート。2001年にウィズグループを設立。2012年、地域×ITのメディア「fin.der.jp」を立ち上げる。並行して2013年に徳島県の過疎地に「たからのやま」を創業、「ITふれあいカフェ」を設け、高齢者共同製品開発事業を開始

 たからのやまは、地域の人、特に高齢者のみなさんがスマートフォンやタブレットを使いこなすためのサポート拠点「ITふれあいカフェ」を運営しています。この拠点オープンのきっかけとなったのは、私自身と両親との関係でした。

 私は25年間、IT業界のイベント企画・運営という事業に取り組んできました。私自身は最先端のITを使いこなし、それを世の中に広めようとしているのに、ふと気づくと私と両親との連絡手段は電話かFAXしかなく、いつの間にか疎遠になっていたのです。

 両親は、鹿児島県の高齢者ばかりの町に住んでいます。身体の自由がきかなくなった父を母が介護する、いわゆる老老介護。本来コミュニケーションを豊かにするために生み出されたITなのに、その業界の最前線を走り続けてきた私が、自分の両親とのコミュニケーションもままならないのが現実でした。

 今のIT製品・サービスは、シリコンバレーから世界の大都市へとあっという間に広まります。日本でも東京にはすぐに入って来ますが、そこでおしまい。地方までは行き着きません。そうした中で、コミュニケーションの断絶が起こっています。