三洋電機「解体」の象徴となったのは、2012年1月にパナソニックが実施した、中国・ハイアール(海爾集団)への三洋電機の白物家電事業(洗濯機と冷蔵庫)の売却だろう。三洋電機の実質的な祖業といえる洗濯機と冷蔵庫事業に従事してきた人々は、この日を境に中国企業の一員になった。

 定年まで三洋電機で働くつもりで、自分が外資企業、それも中国企業で働くことになるとは夢想だにしなかった社員たちは、この状況をどう受け止めたのだろうか。日本の名門企業から中国の新興企業に移った人々は幸せになれたのだろうか。日本の販売会社、ハイアールアクアセールスの立ち上げに奔走した中川善之前社長(現ハイアールアジアインターナショナル執行役員シニアバイスプレジデント)に聞いた。

情報錯綜の中で…

パナソニックが三洋電機を完全子会社化したのが2011年4月。白物家電事業をハイアールに売却するという報道が出たのは2011年の7月でした。様々な情報が乱れ飛ぶ中で、三洋電機の社員は随分、混乱したのではないでしょうか。

中川善之氏(以下、中川):立場によって、知り得る情報が違いましたから、いろんな反応がありましたね。パナソニックの完全子会社になった時、三洋電機社員の考え方は大きく2つに分かれました。1つは「これで安心。パナソニックという大きな会社の一員になれた」と安堵したグループ。もう1つは「そうは言っても白物家電はパナソニックの事業と完全に重複するから、いずれ売られるか潰されるだろう」と危機感を持ったグループです。私は後者でしたが、現場の人たちは前者が多かったかもしれません。

その後、「やはり売却だ」という話になって、「売り先はハイアール」という報道が出ました。

中川善之氏
中川善之氏

中川:最初に書いたのは日経さんでしょ。もう大変でしたよ。みんな私のところに「あの記事は本当か」と聞きに来るわけです。しかし、私はハイアールとの交渉の当事者ですから、何も言えない。実際、すべての条件で三洋電機とハイアールが最終合意したのは発表日2012年1月5日の前日、4日の深夜でした。その前に、いい加減なことを言って、やっぱり潰れた、では済まないわけですよ。

2つのブランドは両立しない

中川さんはなぜ「売却される」と思ったのですか。

中川:三洋電機の白物家電部門は、ずっと「パナソニックに追い付け、追い越せ」でやってきたわけです。ガチンコ勝負をしてきた間柄ですから、三洋電機がパナソニックに吸収された時点で「2つのブランドが並び立つのは難しいな」と思いました。で、しばらくしたら大坪(文雄、当時社長)さんが案の定「事業の重複を解消する」と言い出して、やっぱりな、と。

売り先がハイアールと知った時、中川さんはどう思いましたか。

中川:個人的には全く抵抗感はありませんでした。ハイアールとは2002年に日本で合弁会社を作ってから、ずっと一緒にやってきたので、気心も知れていました。日本の責任者だった杜鏡国さんはそのころから日本に住んでいて、日本語はペラペラ、大阪に家があり、奥さんは日本人です。杜さんはハイアールの副総裁で若きエリートですが、日本人の気質や日本のマーケットを熟知している。彼が間に入ってくれるから、我々は青島(ハイアールの本社)とスムーズにコミュニケーションが取れる状態でした。

 ハイアールの白物家電の販売台数は世界ナンバーワンです。そこに三洋電機が持つ日本の家電作りのノウハウを注ぎ込めば、真のグローバル企業になれる。ハイアール自身がそう考えたから三洋電機の洗濯機、冷蔵庫事業を買収したんだと思います。私もその可能性があると思いました。だから「また新しいことができるぞ」という期待感の方が強かったですね。