三洋電機。かつて日本の電機大手の一角を占め、ピーク時には連結売上高約2兆5000億円、世界に10万人の従業員を抱えた巨大企業が“姿を消した”。厳密に言えば、パナソニックの傘下に三洋電機という法人格は存在する。だが、それは売却や撤退が遅れた海外事業の残務整理のための会社だ。パナソニックに残った「元三洋電機」の社員は約9000人で、それ以外の9万1000人はグループを去った。彼らから見れば三洋電機はすでに“消えた”に等しい。

 会社に人生を捧げてきた企業戦士にとって、「会社の消滅」は悲劇である。彼らは寄る辺を失い、生きがいと誇りを奪われる。しかし、三洋電機の社員にとって「会社の終わり」は「人生の終わり」ではなかった。三洋電機という巨大な船から振り落とされた彼らは、その日から第二の人生を歩み始めた。しなやかに、したたかに。

会社は人生とイコールではない

 Life goes on.
 会社は消えても人生は続く。

 日本では組織に殉ずる生き方が正しいとされ、日本人自身もそれを好む傾向がある。江戸時代までは藩のために腹を切り、明治維新以降は国家のために戦場に赴いた。戦争に敗れた後は、多くの人々が企業戦士となって自らの人生を会社に重ねてきた。命や人生をなげうって国家や会社に尽くす日本人の生き方は、近代国家の建設や戦後復興で驚異的なパワーを発揮し、その都度、諸外国を驚かせた。

 だが、我々は今、国家も会社も、人生とイコールではないことを知りつつある。人間はもっと自由で、強く、たくましい。組織の束縛を離れた「個の時代」が日本にもようやく訪れた。働く人は会社に「帰属」しているのではなく、会社と「契約」しているのだ。そんな欧米的な価値観が浸透してきた。「会社は作るもの」。インターネット世代では、そう考える若者が増えている。中高年の間でも転職や起業は当たり前の光景になってきた。

「ナニワのジャック・ウェルチ」と呼ばれた男

 会社が消えても新たな道は必ず拓ける。三洋電機を去った9万1000人のその後を追ったドキュメント『会社が消えた日~三洋電機10万人のそれから』(日経BP社)を執筆する過程で、私はそれを痛感した。この連載では、同書の構成上、入りきらなかった元三洋電機の人々の生の声をインタビューの形でお届けする。

 その初回を飾るのはやはり彼しかいないだろう。三洋電機の黄金期を体現し、「ナニワのジャック・ウェルチ」と呼ばれた男。三洋電機元会長の井植敏氏である。井植氏は三洋電機の創業者、井植歳男氏の長男で、1986年から2004年まで三洋電機の社長・会長を18年間務めた。しかし、2006年、経営難の三洋電機に3000億円を出資したゴールドマン・サックスグループ、大和証券SMBCグループ、三井住友銀行の金融3社は、敏氏と、同氏の長男で三洋電機社長だった敏雅氏をトップの座から引きずりおろした。

 井植家が去った後、三洋電機は文字通り「解体」された。洗濯機と冷蔵庫の事業は中国家電大手のハイアール(海爾集団)、半導体事業は米オン・セミコンダクターに売却され、二次電池や太陽光パネルが残る本体をパナソニックが買収した。「SANYO」ブランドは廃止され、10万人の従業員の大半が散り散りになった今、「ミスター三洋電機」は何を思うのか。インタビューは2014年1月27日、兵庫県芦屋市にある敏氏の自宅で行った。