前回から続く)

 「プログラミングのほうがマンガを描くよりも楽しいと思っています」。2017年10月26日に東京で開催されたイベント「シニアプログラミングネットワークが目指す!人生100年時代の地域/世代間交流」では、マンガ家のすがやみつるさんも登壇した。ゲームをテーマにした「ゲームセンターあらし」やパソコンの学習マンガ「こんにちはマイコン」などで知られるが、実はパソコンが「マイコン」と呼ばれていた黎明期からプログラミングをしていたという。

プログラミング遍歴を発表するすがやさん
プログラミング遍歴を発表するすがやさん
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 すがやさんは1950年生まれで67歳。「(82歳の若宮さんや鈴木さんがいる)ここに来ると若造ですが」(すがやさん)。

 現在は世界で唯一のマンガ学部である京都清華大学マンガ学部で教鞭をとっている。同大学の大学院には博士課程を持つマンガ研究科があり、2016年から2017年にかけてマンガ学の博士が3人誕生したという。

 すがやさんは小学生のときからマンガを描いていて、マンガ家になりたいと同人誌を作るなどしていた。高校を卒業してからマンガ家のアシスタントを経て石ノ森章太郎先生の石森プロに所属。1971年に石ノ森章太郎原作の「仮面ライダー」でマンガ家デビューした。

 子供の頃からマンガを描くのと並行してラジオも作っていた。その延長で高校生くらいからアマチュア無線を始めた。なんとかマンガで食べられるようになり、本格的にアマチュア無線に取り組むようになったという。マンガを徹夜で描き、眠気覚ましにアマチュア無線をする。「24時間しゃべっているという変なマンガ家ということで話題になりました」(すがやさん)。

 電気街として知られる秋葉原にもよく行っており、ラジオ会館の7階にあった「NECビット・イン」という有名なマイコンショップには1カ月に何度も通ったという。「デジタルとは何か」を独習するために、発光ダイオードを光らせたり、テキサス・インスツルメンツのTTL汎用ロジックICを使ってAND回路やNAND回路などを作ったりしていた。

プログラミングのやりすぎでパソコンを隠される

 その後、「エレクトロニクスに強いマンガ家」ということで、小学館のコロコロコミックというマンガ雑誌に1978年の終わりからテレビゲームのマンガを連載することになった。これが「ゲームセンターあらし」だ。人気が出てテレビアニメにもなり、単行本は500万部ほど売れたという。