ワーキングマザーの隈本涼子。母親だけにあるこの呼び名に違和感を覚えながらも仕事に取り組んでいる。グループ長という立場もあって、最近リスク管理を強く意識すことが多い。とは言え、未発現のリスクは捉えにくいもの。身近な業務に潜むリスクを想像しながら読んでください。
ニッケイ金属から新しいプロジェクトの受注内示を受けての祝杯の席。1軒目の居酒屋を後にして、2軒目のカラオケボックスでようやく檜山さんに悩みを打ち明け始めた木下さん。新プロジェクトのPMに内定したというのに、ユーザー側の体制がこれまでと大きく変わってしまうことをかなり気にしているようです。檜山さんは、木下さんにどうアドバイスしたのでしょうか。
木下は、飲み始めたときには自信満々を装っていた。
「もう楽勝ですよ。たかが異動シミュレーションくらい。大船に乗った気でいてくださいって」
さっき、ニッケイ金属からニッケイITの提案に対する発注内示があった。だから、提案活動に参画した木下、隈本涼子、それに檜山の3人は、客先近くの居酒屋で、ささやかな祝杯を上げることにしたのだ。
あらかじめ、上司の仁科次長から社内交際費枠の利用を許されてもいた。「経理がうるさいから、1人5000円以内に抑えてくれよ」という条件つきではあったが。
木下のテンションは、生ビールで乾杯したときから高かった。彼は、既に新しいプロジェクトのPMに内定していた。サービスインしたばかりの人事系申請ワークフロー刷新プロジェクトの遂行を通じて、顧客から大きな信頼を獲得していたためだ。
飲み始めて1時間、7時を回ったところで、グループ長の隈本涼子が檜山に耳打ちした。
「お先に失礼しますけど、領収書お願いしますね。レシートじゃないと、経理にはねられますから」
涼子は、まだ学齢前の息子を抱えている。夫の隈本直孝が家にいるとはいえ、やはり心配なのだろう。そう思って、檜山はうなずいた。
「了解。任せておいて」
「それから…、キノちゃんのことよろしく頼みます。ああ見えて、結構ビビリだから」
「分かってる」
檜山は笑みを返した。木下とは長いつきあいだ。部下だったころに手こずらされたこともあったから、彼のキャラは熟知していた。
直属上司の涼子がいなくなると、木下はようやく本音を見せ始めた。「仁科さんも、人遣いが荒いんですよね。ようやくひと山越えて、ちょっとはのんびりできると思ってたのに」
水でも飲むように勢いよくチューハイを飲み干す木下は、既に赤い顔をしていた。
檜山は、なだめるように応じた。
「まあ、仕方ないんじゃないか。同じ人事系だし、それだけ木下さんが買われてるってことだよ」
「お客さんに、ですか?」
「社内でも。隈本さんも、だいぶ推してたみたいだよ」
木下は、眉間に皺を寄せた。
「ほかに人がいないからじゃないですか?」
シニカルな木下の口調に、檜山はちょっと顔をしかめた。