「挑戦にはリスクがあり、苦しみがつきまとう」。アルピニストの野口健氏は2017年7月6日、「IT Japan 2017」(主催:日経BP社)の特別講演「目標を持って生きることのすばらしさ」で、自らの半生を振り返り、そう語った。

アルピニスト 野口 健 氏
アルピニスト 野口 健 氏
(撮影:井上 裕康、以下同じ)
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 野口氏は、高校時代に登山を始め、モンブラン、キリマンジャロの登頂に成功。25歳で7大陸最高峰登頂の世界最年少記録(当時)を樹立した。登山が中心であるものの、エベレストや富士山でのゴミ拾いなどの環境問題にも取り組んでいる野口氏は、「いろいろな活動を行うのはなぜかという質問を受けることが多い」と口にした。

 きっかけは、エベレストに登ったときに「日本人はゴミを捨てていく」と散々言われ、悔しい思いをしたこと。こうした単純な動機から始めたが、「活動を続けているうちに、後から環境問題への意識がじわりじわりと追いついてきた」という。

 「データによる知識は平面である。しかし現場である山には匂いもあるし、空間の気もある。現場は生々しくて立体的だ。現場に行くと、平らな知識が膨らんで立体化する。知るとはそういうことであり、知れば何かを背負うことになる。背負うと、いろいろなことが始まる。気が付いたらゴミ拾いの活動を始めていた」(野口氏)。

スポンサー探しを通して、自分には死ぬ自由がないと感じた

 野口氏が山に登るきっかけになったのは、高校時代に停学処分を受けたことだった。勉強ができず、高校に入るとグレ始めた。上級生を殴って停学処分を受けた野口氏は、書店で偶然に植村直己氏の著書「青春を山に賭けて」を手に取る。

 「落ちるところまで落ちたと思っていた停学中だったからこそ、何かしなくてはいけないという危機感があった。日本人として初めてエベレストに登り、5大陸最高峰を踏破した植村氏もコンプレックスを抱えていたと、この本から知った」(野口氏)。

 植村氏が今自分にできることをコツコツと続けた結果、日本人初、世界初という結果につながったと感じた野口氏は、救いを求めるように登山の世界に飛び付いたと振り返る。

 しかし「目標がないと、何を目指していいかが分からなかった」と迷った高校時代の野口氏は、世界地図を見ているうちに「植村氏が世界初の5大陸最高峰なら、自分は7大陸を目指そう」と目標を定めたという。

 社会人のチームに加わり登山を始めた野口氏は、注目を浴びて、取材を受けるようになる。そんな時期に、父親に「モンブランやキリマンジャロに登って、いい気になっているのではないか。しかしそこに行くまでの飛行機代を出しているのは自分だ。本当の冒険はお金を集めるところから始まる。大学生になれば半分社会人のようなもの。これからは自分で資金を集めろ」と言われた。