前後左右、どこを向いても動画の世界――。「360度動画」は没入感のあるVRコンテンツの実現に欠かせない。撮影用のカメラや編集ソフト、コンテンツの制作から配信まで各分野で技術開発が進む。

 今回は「360度動画」を取り上げ、その技術動向や今後の方向性を展望する。360度動画は文字通り360度全方位の映像を撮影しておき、視聴者がPCでマウスを操作したりスマートフォンの向きを変えたりすると対応する方向の映像を再生する動画のことだ。

 VR(仮想現実)用のヘッド・マウント・ディスプレー(HMD)を装着して視聴すれば、振り返ると背後の映像を見ることができる。例えば有名な観光地の360度動画を撮影しておけば、自宅に居ながらにして旅先に出向いたような気分を味わえる。VRやAR(拡張現実)のコンテンツにとって重要な技術だ。対応コンテンツの制作事業者はもちろん、制作に必要なハードやソフトの開発事業者が相次いで登場するなど、VR/ARの周辺技術という領域に収まらないほど大きなセグメントになっている。

 360度動画はPCの画面でも視聴できるため、そもそもVRの技術なのかと疑問視する意見もある。ただ、HMDを使ったVR体験と同様のImmersive Experiences(没入感のある体験)を得られることは確かであり、最近では広義のVR/AR技術とみなすのが一般的だ。VR/AR分野でマネタイズ(収益化)や投資家からの資金調達に成功している事業者が最も多いのも、実は360度動画の領域である。

ジョーントの360度動画撮影カメラ「Jaunt ONE」
ジョーントの360度動画撮影カメラ「Jaunt ONE」
(出所:米ジョーント)
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複数のレンズを持つカメラが登場

 360度動画に関する事業を手掛ける企業は大きく4種類に分かれる。撮影用カメラをはじめとするハードウエアの開発会社、動画の編集や配信を担う「オーサリングソフト」の開発会社、動画コンテンツの制作会社、動画コンテンツの配信サービスの運営会社である。各分野で目立つのは動画配信サービス「YouTube」を運営する米グーグルやデジタルカメラメーカーといった既存の大手企業ではなく、むしろ新興勢力の存在だ。4分野それぞれでスタートアップが登場し、彼らを中心にエコシステム(普及を促す生態系)ができあがりつつある。

 撮影用カメラを開発する代表的なスタートアップの1社が米ジョーント(Jaunt、本社カリフォルニア州パロアルト)だ。2013年に創業したジョーントは、これまでグーグルの投資会社や米メディア大手ウォルト・ディズニーなどから合計約1億ドル(約114億円)を調達し、この業界を切り開いてきたパイオニア的な存在だ。設立以来、360度動画を撮影するカメラ「Cinematic VR」と周辺システムの開発を続け、2015年7月に「NEO」というコードネームで初めて発表した。最初の試作品から数えると第5世代に該当するようで、研究開発の大変さが伝わってくる。

 カメラ機材の開発以上に同社が苦労したとみられるのが、様々な角度で撮影した映像をつなぎ合わせて360度につなぎ合わせる「スティッチング」と呼ぶ技術だ。前例がないなか、同社はスティッチング技術を独自開発してNEOに搭載し、業界初の360度動画撮影カメラを生み出した。

 ジョーントはNEO発表の直前、2015年4月に米ロサンゼルスに360度動画コンテンツを作る施設「Jaunt Studios」を設立。自社開発したカメラを使って消費者向けのコンテンツを制作し始めた。

 自らコンテンツ制作に乗り出したジョーントの姿勢からは、世の中で初の技術やモノを開発して市場を開拓する苦労が分かる。360度動画を撮影するカメラを作っただけでは、どう使えばいいのか、どんな作品が作れるのか誰もイメージできないと同社は判断。率先してコンテンツを作ってみせることで、360度動画というそれまでにないコンテンツの啓蒙と自社製品の拡販を狙ったわけだ。