人工知能(AI)はそもそも汎用的なもの。AIを「専用AI」と「汎用AI」に二分して議論すること自体が間違っている――。

 こう主張するのが、「データの見えざる手」などの著作で知られる日立製作所 研究開発グループ 技師長でIEEE Fellowの矢野和男氏だ。

 「汎用人工知能」という言葉は一般に、人間と同等の知性を獲得したAIを指す。「ターミネーター」などSF(サイエンスフィクション)に登場するAIのイメージと合致し、これがAIを人類の脅威と見なす議論の元になっている。

 Preferred Networks(PFN)最高戦略責任者の丸山宏氏は、あらゆる面で人間と同等以上の知性を示す「汎用人工知能」と、ある特定のタスクで知性を示す「特化型人工知能」とにAIを分類した上で議論することを主張している(人工知能技術の健全な発展のために)。

 これに対して矢野氏は、AIを汎用と専用の二元論で語るのは、一見すると議論が分かりやすくなるが、むしろ議論を混乱させる元だと指摘する。

 ただ、その主張は必ずしも丸山氏と対立するものではなく、AIについて非専門家によくある誤解に、別の観点から光を当てるものだ。

 特集「AIと倫理」第2回は、AIの開発ガイドラインや倫理規範を議論するうえで、そもそもAIという言葉をどう捉えればよいか、日立製作所のAI研究を率いる矢野氏の見解を紹介する。

なぜ「汎用AI」と「専門AI」の二元論で考えることが誤りなのか。

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 一言でいえば、AIはそもそも汎用的なものだからだ。AIの研究開発は、AIの汎用性を連続的に高めていくことを目指すもの。そこに「汎用AI」「専用AI」と二元論的な用語を入れると、かえって議論が混乱してしまう。

 AIの定義は人によって異なるだろうが、私はAIの本質を「一般的なソフトウエアよりも汎用性が高い」ことだと考えている。

 プログラムで書かれた通常のソフトウエアは、特定の用途を想定し、挙動をロジック(論理)であらかじめ決めるものだ。一方でAIは、学習で内部パラメータを柔軟に変えることで、多様な問題に対応できる。その分、通常のソフトウエアより汎用性が高いといえる。

 AIの進化の歴史とは、AIの汎用性を継続的に高めることで、専用のソフトウエアや汎用性の低いAIを置き換えることだった。昨今のAIブームも、深層学習(ディープラーニング)が画像から言語まで様々な領域で使えるようになるなど、AIの汎用度が実用レベルにまで向上したことによるものだ。

 現状の技術水準を見据え、どこまでを汎用性の高いAIで作り、どこまでを専用のソフトウエアで作るか。その界面を考えることがエンジニアリングの本質だろう。

以前から、人間並みの知性を持つAIは汎用人工知能(Artificilal General Intelligence、本来の正確な訳は「人工汎用知能」)と呼ばれてきた。このこと自体が誤りのもと、ということか。

 私自身は、人間と同等以上の知性を持つAIは非現実的と考えているが、研究開発の対象とする意義はあるだろう。むしろ問題なのは、人間並みの知性を持つAI以外の全てのAIを「専用AI」と呼んでしまうことだ。

 実際に専門特化しているのは「画像を処理する」「言語を処理する」など、AIを利用する目的の方だ。AI技術自体が「汎用」「専用」と二分できるわけではない。

 日立製作所が、自社のAI技術「H」を多目的人工知能と呼ぶ理由もここにある。鉄道、エレベーター、物流など自社グループの様々な分野に応用し、成功と失敗を繰り返す中で、従来より汎用性の高いAI技術を開発できたと自負している。