今から9年前、「日経コンピュータ」の創刊700号記念号(2008年3月24日号)で、当時MITメディアラボの所長だったフランク・モス氏の談話を紹介した。そのとき同氏は、CPUの時代、インターネットの時代に続いてやってくるのが、「人のデータの時代」と語った。

 近未来の展望としてモス氏は、「未来の銀行は、人に関する情報を扱う」「電機メーカーは、人に関するデータを収集し、そのデータを活用する」「自動車メーカーは、自動車ではなく(中略)アルゴリズムを作っているかもしれない」としていた。

 それから9年、同氏の予測は、実際にそれぞれO2O(オンライン・ツー・オフライン)、ウエアラブルデバイス、自動運転車という形で実現されている。これらはほんの一端で、人のデータは、種類も量も、当時の想定をはるかに超えて一気に増えており、今まさに人のデータの時代を迎えている。

 人のデータの時代を支えるのが、各種センサーである。例えば、毎年、年初に米国ラスベガスで開催されている展示会「CES」を見れば、「活動量」はもはや当たり前、「脳波」「血中酸素濃度」「睡眠深度」「感情」など、人を対象にし、可視化できるセンサー製品であふれている。

現代の眼はセンサー

 本原稿の著者の1人であるホオバルの新城は、こうした各種センサーの普及した現代の状況を、「新しいカンブリア時代の到来」と表現している。

 約5億年前の時代区分である元々のカンブリア紀は、地球上で多様な生物の種が爆発的に増えた時期である。その背景には、この時期、生物の新しい機能として「眼」が生まれたとされることがある。眼によって視覚を獲得した生物は、捕食や逃走といった行動が多様化し、それにより進化も多様化したというのだ。

 「現代の眼」は、センサーである。各種センサーが登場したことで、これまで人間には認識できなかったものを認識できるようになっている。

 例えば、スマートフォンに搭載される画像センサーは、暗やみの中の被写体をわずかな光でとらえることができるし、「感情」のようなものも、表情や声などを測定することで可視化できる。センサーとしての眼は、いわゆる視覚の拡張のみにとどまらない。触覚、聴覚、嗅覚、味覚と人のセンシング能力を拡張する「眼」すなわち「感覚機器」が、テクノロジーによって次々と実現してきている。我々は、こうしたセンサー全般に対して、「みえる」機能を提供するものとして、大きな可能性を感じている。

 一方で、我々の問題意識は、こうした「みえる」領域が急速に広がっているにもかかわらず、ビジネスに結びついているケースがまだ少ないところにある。腕時計あるいはリストバンド型の活動量計を身に付けた多くの人が経験したように、「みえる」だけでは「何も起こらない」のである。メリットを感じない経験は長続きしない。3カ月を超えて継続的にウエアラブルデバイスを装着するユーザーは20%程度に過ぎない。つまり80%のユーザーは3カ月も経たずにウエアラブルデバイスを身につけなくなる。あるグローバルメーカーのヘルスケア担当者は、独自調査の結果をそう語っている。

 そこで我々が考えた仮説は、以下のエコシステムを構築し、活性化することである。つまり、「みえる」領域で獲得したデータを、その価値が「わかる」人たちに受け渡し、さらにその価値を「できる」人たちに渡して適切な介入サービスをエンドユーザーに提供する。これによって、元の状況が「かわる」というエコシステムを活性化することで、関連ビジネスを増やしていこうというものである(図1)。

図1●「みえる」「わかる」「できる」を通じて「かわる」に至るエコシステムを構築する
図1●「みえる」「わかる」「できる」を通じて「かわる」に至るエコシステムを構築する
(出所:ホオバル)
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