2013年に見つかった悪性リンパ腫という二度目のがんは、IT会社オーシャンブリッジの創業社長だった高山さんの働き方をさらに変えていく。

 抗がん剤治療による7カ月間の入院生活によって、5年後生存率40%の悪性リンパ腫は寛解するが、高山さんの体力は入院前に比べて極端に落ちる。一度目の悪性脳腫瘍よりもはるかに治療は過酷だった。

 体力の回復にも限界があり、以前と同じように働くことはできない。もどかしさを感じる日々が続く。



 2度目のがんとなる悪性リンパ腫の5年生存率は40%。42歳で見つかった悪性リンパ腫は高悪性度なもので、週単位で病状が進行していくようなものだった。「娘の二十歳の誕生日においしいお酒で乾杯してお祝いする」という人生の目的を果たすため、高山さんは懸命に医療機関の情報を調べ、虎の門病院に入院することを決める。再度、オーシャンブリッジから離れ、闘病が始まった。

 脳腫瘍を乗り越えた高山さんだったが、悪性リンパ腫の治療は壮絶なものだった。抗がん剤治療は、寛解の状態に達するまでに7カ月の入院を要した。当時の経験については、「オーシャンブリッジ高山のブログ」と、高山さんの執筆した「治るという前提でがんになった 情報戦でがんに克つ」(幻冬舎)に詳しく記してある。読むだけでも、肉体的辛さと治療の過酷さが伝わってくる。

 きつい副作用の影響で高山さんの体重は15kg減る。入院している間は、ほぼ全ての時間をベッドで寝ているか、ベッドの上に座っているかだったという。

 入院生活は、思った以上に体力を奪う。退院して家に帰ったころには、フローリングや畳の上にじかに座ると自分独りでは立ち上がれない、階段を上り下りするのも両手で手すりをつかみながらでなければ無理という状態だった。

「元気になってから戻ってください」

 退院後も、ウォーキングなどで体力を回復させ、会社に行ける状態に戻るまで、自宅療養の期間が1年くらいが必要だったという。そんな状態でも、復帰への思いは強かった。

 これぐらい体力が弱っちゃうと、電車に乗って(会社のある)渋谷に行って帰ってくるだけで大変なんですが、何としても会社に貢献したいという強い思いがあったんです。自分がつくった会社、自分の会社だという意識があったので、もう1回戻って、自分はまた仕事で生きていくんだ、早く何とか会社に戻りたいとも思っていました。

 実は入院中に、会社でナンバーツーだった持木(隆介)君から、高山さんの入院も2回目で、長くなるかもしれないので、自分が社長をやるから会長に退いてほしい、また元気になったら戻ってきてくれと言ってもらって、会長に退いていたんです。でも会長としての経営責任もあるし、みんなに頑張ってもらうために、もう1回会社に貢献したい、とにかく早く会社に戻りたかったんですね。