本連載で繰り返し述べたように、IoT(インターネット・オブ・シングズ)とはインターネットにモノがつながっていることを指す。この形態に目新しさはないが、「IoT」という魔法の言葉があてがわれたことで、注目を集めるに至った。

 だがハイプサイクルの流行の法則からすれば、「IoT」という言葉もいずれ衰退するだろう。そして「ネオダマ」「ドットコム」「ユビキタス」などの懐かしい言葉の仲間入りをする。

 しかし、IoTの概念が消えることはない。空気のような当たり前のものとして、意識されずに使われていく。

 インターネットは1980年代では革新的な技術だったが、21世紀初頭には水道や鉄道のようなインフラになり、現在では空気のように意識せずに使える時代になった。

 IoTも同じ道を辿る。今は革新の時代だが、やがてIoTは誰もが当たり前に使えるインフラになり、将来は存在をほとんど意識しない空気のようなものになるだろう。

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 将来は、モノがインターネットにつながることが当たり前になり、つながっていない方が珍しい時代になる。腕時計も眼鏡も扇風機もエアコンも水筒も弁当箱も書籍もノートも鉛筆も扇子も広告チラシも、あらゆるモノがインターネットにつながる。

 モノは特別に意識することなく、インターネットを通じて勝手に情報をやり取りする。私としては想像するだに楽しい世界が待ち受けているように思うが、皆さんはどうだろうか。連載最終回は、IoTという概念の歴史を振り返りながら、将来のIoTの姿と、必要となるIoT人材についてみていこう。