「ITに全く関係ない分野からITに飛び込んで活躍しているエンジニア」や「システムインテグレーター(SIer)からWebベンチャーに転職して成功したエンジニア」など、何らか“越境”を経験したエンジニアを「越境エンジニア」と名付け、1カ月に一人ずつインタビューを掲載する。今月取り上げるのは、料理を作る人と食べる人をつなぐマッチングサービス「KitchHike」を運営するキッチハイクの共同代表/最高技術責任者(CTO)である藤崎祥見(しょうけん)氏。今回は、お寺に生まれ、僧侶として1年間修行した後、オープンソースにかかわるようになった経緯などを聞いた。

(聞き手は大森 敏行=日経NETWORK


 私の実家は熊本にある浄土真宗本願寺派のお寺です。お寺の一人息子で、跡継ぎとして育てられました。ところが、中学生の頃、生まれた家や場所で自分の職業や人生が決められることにどうしても納得がいかなくなった。跡継ぎの問題で意見が合わず、私が家を出ることになりました。高校から一人暮らしを始めたのですが、そのころには「絶対に寺は継がない」と思っていました。

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 2000年に筑波大学に入学しました。社会工学類で経済を専攻しました。大学に入ったときにも寺を継ぐ意思は全くありませんでした。

 ところが、みんなが就職を考える時期になったときに、「自分を見つめ直すために、生まれたお寺の勉強をしてみよう」と思い立ったのです。自分がお寺に生まれた運命をもう一度受け止めてみようと思いました。寺を継ぐと決めたわけではありませんが、自分の中で「全く何も知らないのに判断する」ということに納得がいかなかったのです。まずはお寺の世界を知ってそこで判断しようと思いました。

 そこで、大学3年生と4年生の間、2003年に大学を1年間休学して京都に修行に行きました。自分が生まれたお寺の宗派の勉強をしてみようと思い、本願寺派の本山である西本願寺の教育機関である中央仏教学院に入りました。

 中央仏教学院は京都市内にありますが、西本願寺とは少し離れた場所にあります。自転車で20分くらいでしょうか。そこに1年間通う形でお寺の勉強をしました。寮もあったのですが、私はたまたま姉が京都に住んでいたので、姉の家から通いました。